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朗読箇所

四旬節第6主日

旧約 ゼカリヤ書 9:9−10


9 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
10 わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。


新約 ルカによる福音書 19:28−44

◆エルサレムに迎えられる
28 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。
29 そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、
30 言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。
31 もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」
32 使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。
33 ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。
34 二人は、「主がお入り用なのです」と言った。
35 そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。
36 イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。
37 イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
38 「主の名によって来られる方、王に、
祝福があるように。天には平和、
いと高きところには栄光。」
39 すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。
40 イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
41 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、
42 言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。
43 やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、
44 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」

説教

平和を求めて歩む旅路

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    きょうはおよそ3ヶ月ぶりに、
    「グロリア・グロリア」を歌いました。
    「いと高きところには栄光、神にあれ」という意味の、
    「グロリア・イン・エクセルシス・デオ」というフレーズを
    繰り返し、繰り返し歌う讃美歌です。
    3ヶ月前に、わたしたちがこの讃美歌を礼拝の中で歌ったのは、
    イエス・キリストの誕生をお祝いするためでした。
    ルカによる福音書によれば、
    イエスさまが生まれたその夜、
    エルサレムの町の外にいる
    羊飼いたちの前に天使たちが現れて、
    神を賛美しました。
    「いと高き所には栄光、神にあれ
    地には平和 御心に適う人にあれ」と(ルカ2:14)。
    イエスさまの誕生を伝えた天使たちが
    羊飼いたちの目の前で歌ったこの言葉を思い起こしながら、
    「グロリア・イン・エクセルシス・デオ」と
    わたしたちも歌いました。

    きょうの礼拝で歌う讃美歌のひとつに、
    わたしがこの讃美歌を選んだのは、
    さきほど開いたルカにによる福音書の物語で、
    「いと高き所には栄光があるように」
    というフレーズが登場するからです。
    イエスさまの弟子たちが
    ろばに乗ったイエスさまと一緒に
    エルサレムへと向かうその旅路で、
    弟子たちは神を喜んで賛美しながら、
    この言葉を口ずさみました。
    「主の名によって来られる王に
    祝福があるように。
    天には平和
    いと高き所には栄光があるように」と(19:38)。

    天使たちが歌った讃美歌と、
    弟子たちが歌った讃美歌が響き合う時、
    このふたつのグループが歌った讃美歌に
    大きな違いがあることに気付かされます。
    天使たちは地には平和と歌い、
    弟子たちは天には平和と歌いました。
    それはまるで、天使たちが歌ったあの讃美歌に、
    弟子たちが応答しているかのような響きをもっています。
    天使たちが、地上に向かって平和を願ったように、
    地上で生きる弟子たちも、
    天に向かって平和を願っているかのようです。
    でも、よくよく考えてみると、平和の神がいる天において、
    そもそも弟子たちが平和を願う必要などはないはずです。
    むしろそれは、天の神のもとにおいては、
    平和が実現しているというその事実を
    弟子たちが賛美しているかのようです。
    その意味で、「天に平和」と歌う弟子たちの賛美は、
    天使たちが地上に平和を願って歌った讃美歌に対する、
    応答して描かれているとは、捉えにくいように思えます。

    むしろ、弟子たちにとってこの賛美歌は、
    旅の目的地にもうすぐ到着する喜びを表現する
    直接的な手段でした。
    イエスさまと弟子たちの旅の目的地は、エルサレムです。
    その旅はエリコという町から始まりました。
    エリコからエルサレムまでの距離は、
    直線距離で20km程度です。
    ただ、エリコからエルサレムまでは、
    およそ1,000mもの高低差があります。
    彼らの旅は、エリコからエルサレムに向かって、
    急な坂道を登り続ける旅でした。
    エリコから急な坂道を登り続け、
    エルサレムの近くにあるオリーブ山までたどり着けば、
    エルサレムの都がようやく見えてきます。
    オリーブ山からエルサレムの都に行くためには、
    オリーブ山を下り、谷を越えて、
    エルサレムへと上っていく必要があります。
    ですから、オリーブ山の坂にたどり着いたときに、
    弟子たちはエルサレムの町をようやく見ることができました。
    目的地が見えてきて、
    旅の終わりが近づいてきたことを喜び、
    彼らは神を賛美し始めました。

    弟子たちはこのように、
    旅の目的地であるエルサレムを見つめて、
    喜び、神を賛美しました。
    けれど、イエスさまは正反対の反応をします。
    イエスさまはエルサレムの都を見て、涙し、嘆きます。
    「もしこの日に、お前も
    平和への道をわきまえていたなら...」(19:42)と、
    イエスさまはエルサレムの町に向かって
    語りかけるように、嘆いています。
    エルサレムに住む人びとを思って、
    イエスさまは涙を流しました。
    なぜイエスさまは泣いているのでしょうか。

    イエスさまのその涙のわけは、
    人びとが平和に向かって
    歩んで行かない現状があったからです。
    もちろん、エルサレムに
    平和が全くなかったわけではありません。
    エルサレムの町は、ローマ帝国の支配に守られています。
    ローマの圧倒的な武力に守られて、
    秩序が保たれています。
    けれど、それは強者の望むかたち、
    力のある人びとが想像する「平和」の実現でした。
    その背後で苦しんでいる人が数多くいました。
    貧しさに苦しむ人たちもいれば、
    経済や法律、宗教など、自分よりも大きな力によって
    生き方を制限されている人たちもいました。
    イエスさまが願った平和は、
    そういった力によって支えられるものではありません。
    むしろ、暴力を伴わず、
    神から愛され、憐れみを受けているように、
    人を愛し、憐れみ、
    そしてお互いに支え合うことによって
    築かれていく平和をイエスさまは望みました。
    そのような平和を築いていく道を人びとが歩むのではなく、
    弱い人たちや、自分の仲間でない人たちを顧みず、
    力や支配によって、自分たちだけの平和を築こうとしてしまう。
    そんな人びとの姿に、イエスさまは涙しました。
    そんなイエスさまの姿を見つめるとき、
    エルサレムが見えたときに喜び、歌い出した、
    弟子たちのあの讃美歌が、
    彼らが望んだ形とは違う形で、
    とても象徴的なものに聞こえてきます。
    彼らは天に平和と歌いましたが、
    地には平和とは歌いませんでした。
    それはまるで、地の上に平和がないことを
    象徴しているかのようです。

    この地上に平和を見いだせず、
    喜びの賛美よりも、嘆きと涙で日常が溢れているのは、
    何もイエスさまだけではありません。
    わたしたちだって同じように、
    この地上に、この世界の現実に、平和を見いだせずにいます。
    いつまでも紛争や戦争がなくなりません。
    戦争により、住む場所を失い、
    生きていくために必要なものを手に入れるのが
    困難な人たちがいます。
    一人ひとりの人間の命が軽いものとして扱われています。
    もちろん、この世界から戦いがなくなりさえすれば、
    この世界が平和になるわけでもありません。
    差別やいじめがある場所が平和なわけありません。
    政治家が裏金を集め、それを必死に隠し、自分を正当化し、
    今助けが必要としている人たちに、
    手を伸ばせない政治が行われている社会を
    わたしたちは安易に平和とは呼べません。
    生き方の多様性が認められない社会を
    わたしたちは平和とは呼べません。
    平和とは呼べない日常がある
    わたしたちが流す涙をイエスさまは知っていてくださいます。
    イエスさまも同じように、涙を流してくださっています。

    けれど、イエスさまがわたしたちのためにしてくださるのは、
    一緒に泣くことだけではありません。
    イエスさまは、子ろばに乗って、
    平和を失った都エルサレムに来ました。
    イエスさまが乗った動物が、
    戦いで用いられた、馬ではなく、
    頼りない子ろばであったことに、
    わたしたちは大きな意味を見出せます。
    イエスさまは馬に乗ることによって、
    暴力的に平和を勝ち取りにはいきませんでした。
    力による解決をイエスさまは望みませんでした。
    むしろ、イエスさまは人びとの暴力に
    巻き込まれ、命を落としました。
    そのような形で、非暴力を徹底した形で、
    イエスさまは平和をこの世界に実現しようとしました。
    それは、わたしたちがイエスさまを見つめることを通して、
    この世界のあり方を見つめ直すためです。
    わたしたちの心を支配する罪の現実に、
    わたしたちが真剣に向き合うためです。
    暴力に飲み込まれて、
    命を落とす最後の一人にイエスさまがなるためです。
    そして、わたしたちが暴力に飲み込まれ、
    支配されないようにするためです。
    そのために、イエスさまは馬ではなく、
    力のない、無抵抗な子ろばに乗って、
    平和の王として、エルサレムへと向かっていきました。

    そう考えると、弟子たちが歌った讃美歌は、
    何によって平和がこの地に訪れるのかを明らかにしています。
    「主の名によって来られる王」によって。
    平和の主であるイエス・キリストによって、
    わたしたちのもとに平和が訪れます。
    この事実は、弟子たちが歌った讃美歌を
    平和の主であるキリストの訪れを
    待ち望む歌へと変えるでしょう。
    地に平和と歌うことができなかった歌が、
    わたしたちが地に平和と、
    希望をもって祈ることができないような場所に、
    イエスさまが訪れてくださることを望む歌へと変わります。
    天に平和があるように、
    主キリストにあって、この地にも平和は訪れます。
    その事実を受け取るとき、弟子たちの讃美歌は、
    天使たちへの応答に変えられていくことでしょう。
    天には平和、いと高きところに栄光があるように。
    地に平和、みこころにかなう人たちにあれ。
    天の御国を目指す旅路を行くわたしたちは、
    きょうも、平和を求めるこの歌に
    加わるようにと招かれています。

週報より

  • 2024.03.24 週報より抜粋・要約

  • ① きょうは「しゅろの主日」です。
    キリストは、生涯の最後の一週間をエルサレムで過ごしました。
    その最初の日に、エルサレムへ入城したキリストは人びとに迎え入れられます。
    キリストが逮捕され、十字架上での死へと至る受難週が始まる最初の日として、
    きょう、わたしたちはこの日を記念して礼拝をします。

    ② 来週の日曜日は、復活祭(イースター)です。
    主イエスがよみがえられ、復活と永遠のいのちへの望みを
    わたしたちに与えてくださったことを喜び、お祝いします。
    礼拝の後に、有志の方による持ち寄りで、食事をともにします。
    食べ物を持ち寄ってくださる方は、よろしくお願いします。
    食事としばらくの交わりの後、有志の方で墓参にまいります。

    ③ イースター献金にご協力ください。
    世界宣教とキリスト教団体への募金、教会の働きに用います。
    受付テーブルに献金袋がありますので、ご利用ください。

    ④ 月報『モレノ』4月号が完成しました。
    ご協力くださったみなさまありがとうございます。
    表紙・裏表紙の絵、挿絵、写真、原稿などを募集しています。
    手渡しでも、データでも受け付けています。なんでも、お気軽にご寄稿ください。

    ⑤ きょうは「ぶんでんリレー」最終日です。
    礼拝後に、キリスト教関連の書籍やグッズを購入できます。
    次回の予定が決まったらまたお知らせします。

    ・能登半島地震の救援募金にご協力ください(受付テーブルの上にある家の箱)。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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