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朗読箇所

四旬節第7主日

旧約 イザヤ書 44:21−23

◆イスラエルの贖い
21 思い起こせ、ヤコブよ
イスラエルよ、あなたはわたしの僕。わたしはあなたを形づくり、わたしの僕とした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。
22 わたしはあなたの背きを雲のように
罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。
23 天よ、喜び歌え、主のなさったことを。地の底よ、喜びの叫びをあげよ。山々も、森とその木々も歓声をあげよ。主はヤコブを贖い
イスラエルによって輝きを現された。


新約 ルカによる福音書 23:50−24:12

◆墓に葬られる
50 さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、
51 同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。
52 この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、
53 遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。
54 その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。
55 イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、
56 家に帰って、香料と香油を準備した。
1 そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。
2 見ると、石が墓のわきに転がしてあり、
3 中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。
4 そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。
5 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。
6 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
7 人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」
8 そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。
9 そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。
10 それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
11 使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。
12 しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。

説教

思い出すことは、希望を見つめること

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    それは日曜日の朝早くに起こった出来事でした。
    何人かの女性たちがイエスさまの遺体がおさめられた
    お墓のもとにやって来たそうです。
    彼女たちは、香料を持ってやって来ました。
    その香料をイエスさまの遺体に塗るためです。
    イエスさまが十字架にかけられて、
    十字架の上で息を引き取ってから、
    この日で3日目になります。
    遺体は時間とともに腐り、
    朽ち果て、悪臭を放つようになります。
    そのため、彼女たちは、
    イエスさまのからだに香料を塗ることによって、
    遺体が放つ臭いを和らげようとしました。

    彼女たちにとって、イエスさまの身体が収められたお墓は、
    イエスさまの死の象徴でした。
    そこへ近づけば近づくほど、
    かつて同じ時を過ごしたイエスさまが
    もう戻ってこないことを思い出さなければなりません。
    お墓の中に入って、
    もう動かないイエスさまの亡骸を見つめて、
    亡骸から放たれる臭いが鼻に届くならば、
    イエスさまがもう生きていないことを
    受け止めなければなりません。
    イエスさまのお墓にたどり着いて、
    自分たちがこれからすることを考えながら、
    イエスさまの死とゆっくりと向き合いながら、
    彼女たちはお墓へ向かって、
    ゆっくりと足を進めていきました。

    けれども、お墓に到着した彼女たちは、
    その目的を果たすことができませんでした。
    というのも、彼女たちがお墓にたどり着いたとき、
    彼女たちが思い描いていたものとは、
    まったく違う光景がそこにあったからです。
    彼女たちは、お墓を閉ざしている石を何とか動かし、
    お墓に入って、イエスさまの身体に
    香料を塗るつもりでいました。
    けれども、その日、
    石で入り口が閉じられていたはずのお墓は開いていました。
    そして、お墓の中におさめられていたイエスさまの身体は、
    どこにも見当たりませんでした。
    そこにあったのは、イエスさまの身体を包んでいた
    亜麻布だけでした。
    イエスさまの遺体は、
    誰かに持ち去られてしまったのでしょうか。
    イエスさまの身体のない、
    遺体から放たれた死臭も漂ってこない、
    空っぽのお墓がそこにあります。
    彼女たちは、途方に暮れました。
    思いもよらぬ出来事が起こり、
    立ち尽くしてしまいました。
    まるでそれは、イエスさまの死を
    きちんと受け止める機会を
    奪われているかのようでした。
    イエスさまが十字架の上で息を引き取ったのは、
    安息日直前の昼過ぎのことでした。
    イエスさまが亡くなった日の日没から、
    あらゆる労働ができない安息日は始まりました。
    ですので、安息日が始まるまでの数時間の間に、
    人びとは急いで、イエスさまの埋葬を済ませました。
    そのため、イエスさまの亡骸のそばを
    丁重に扱い、イエスさまの死に悲しみ、涙を流し、
    イエスさまの死を受け止めるという時間を
    彼女たちは十分に持つことが出来ていませんでした。
    安息日が明けて、明るくなるとすぐに、
    彼女たちがお墓へとやって来たのは、
    イエスさまの葬りの続きをするためでもあり、
    また、彼女たちがイエスさまの死を
    受け止めるためでもありました。
    けれども、イエスさまの身体がどこにも見当たらなかったため、
    彼女たちにとってとても大切な、
    イエスさまの死を受け止める時間は奪われてしまいました。
    そう考えると、彼女たちが途方に暮れるのも仕方ありません。
    誰かのいたずらなのでしょうか。
    それとも、イエスさまの遺体は盗まれてしまったのでしょうか。

    そんなとき、彼女たちのそばに、
    輝く衣を着た二人の人が立っていたと、
    ルカは報告しています。
    彼らは彼女たちに語りかけました。

    「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。
    あの方は、ここにはおられない。
    復活なさったのだ。
    まだガリラヤにおられた頃、
    お話しになったことを思い出しなさい。」(ルカ24:5−6)

    このふたりは、思いもよらぬことを
    彼女たちに語り掛けました。
    イエスさまが復活したというのです。
    それは、空っぽの墓の意味を告げる言葉でした。
    彼女たちにとって、
    お墓はイエスさまの死を象徴するものでした。
    イエスさまがもう自分たちのそばにいないこと、
    もう言葉を交わす日は二度と訪れないことを
    実感させ、思い出させるものでした。
    たしかにそこは、イエスさまが彼女たちと一緒に
    生きたことを証しする場所でしたが、
    それと同時に、イエスさまのいのちや
    イエスさまと彼女たちの関係の
    永遠の終わりがあることを
    お墓は彼女たちに伝えました。
    そして、彼女たちにとって、
    イエスさまの遺体が取り去られていた空っぽのお墓は、
    死を象徴することさえできない、
    悲しみや喪失の感情の行き場を
    なくすものになってしまいました。

    そんな彼女たちに語られた言葉は、
    空っぽのお墓がどのようなものであるのか、
    その本質的な意味を
    彼女たちに伝えるものでした。
    空っぽのお墓は、
    ふたつのことを象徴するものへと変えられました。
    それは、イエスさまは確かに死んだことと、
    イエスさまは確かによみがえったことです。
    彼女たちの中で、このお墓の意味が劇的に変わったのは、
    彼女たちが、このふたりの言葉に耳を傾けたからです。
    彼女たちが聞いた言葉とは、
    「思い出しなさい」という呼びかけでした。
    イエスさまは、ご自分の死と復活をすでに、
    弟子たちに話していました(9:22参照)。
    イエスさまの弟子たちのグループの一員として、
    彼女たちもイエスさまの言葉は聞いていたはずです。
    でも、誰もイエスさまの言葉を覚えていませんでした。
    覚えていたとしても、イエスさまの死に直面した時、
    悲しみや失望に押し流されて、
    イエスさまの言葉は忘れ去られてしまいました。

    忘れることそのものに問題はありません。
    だって、わたしたちにとって、
    忘れることは当たり前のことですから。
    何もかも覚えていたら、
    心を冷静に保つことなどできません。
    辛いことも、悲しいことも、忘れられるからこそ、
    わたしたちは、今を喜んで生きることができます。
    でも、悲しいことに、
    わたしたちは大切なことも忘れてしまいます。
    いや、大切なことを大切なこととして、
    心に受け止めることや、
    心に留め続けることを失敗することだってあります。
    イエスさまのお墓の前で
    途方に暮れたあの女性たちは、
    かつてイエスさまが語りかけた言葉を忘れていました。
    多くの苦しみを受け、排斥されて殺され、
    3日目に復活するという言葉を忘れていました。
    けれども、わたしたちにとっての良い知らせは、
    神の側が思い出しなさいと、
    わたしたちに呼びかけてくださることです。
    聖書の言葉を通して、教会での礼拝や交わりを通して、
    神が、きょうもわたしたちに、
    思い出しなさいと呼びかけてくださっていることです。
    わたしたちは、あまりにも簡単に希望のない方へと
    心を押し流されてしまいます。
    特に、イエスさまが復活したという知らせを
    わたしたちが忘れるならば、
    お墓は、わたしたちを過去の思い出へと
    置き去りにするものとなるでしょう。
    お墓は、死が最終的な勝利者であることを
    わたしたちが認める場所となってしまうでしょう。
    けれども、思い出しなさいと語りかける言葉を聞くならば、
    イエスさまが復活したことを思い出しなさいと、
    わたしたちに語りかける、神の声を聞くならば、
    お墓は、復活の希望を証言する場所へと変えられます。
    十字架の上で死んだイエスさまが、
    死に勝利され、復活したように、
    将来、神がわたしたちに命の息を吹きかけ、
    復活のいのちを与えてくださる
    という希望を告げる場所へと変わります。
    だって、神はわたしたちが思い出すよりも前に、
    わたしたちに目を留め、
    わたしたちを思い出し続けてくださるからです。
    神であるあなた心に留めてくださるとは、
    人とは一体何者なのか!と、
    きょう一緒に読んだ詩編8篇の詩人が
    驚きながら、歌ったように、
    神は、わたしたちの全生涯において、
    どのようなときも、わたしたちに目に留め続けてくださいます。
    神がわたしたちを目に留め続けてくださるから、
    思い出し続けてくださるから、
    わたしたちと神との関係は、
    死によって消え去るものではありません。
    神によって、わたしたちはすべての人と結ばれているから、
    わたしたち一人一人がこの地上で築いている関係は、
    死によって完全に失われるものではありません。
    天の御国において、新しいいのちが与えられるからです。
    神は、誰一人として忘れません。
    ですから、復活の主であるキリストを思い出すならば、
    お墓は、そんな希望を思い起こす場所へと、変えられていきます。
    わたしたちが死に絶望し、失望し、
    涙を流すだけの場所ではありません。
    わたしたちに復活の希望を見つめさせるために、
    神はわたしたちに語りかけておられます。
    思い出しなさい。
    主キリストにあって復活のいのちが
    約束されていることを思い出しなさい、と。

週報より

  • 2024.03.31 週報より抜粋・要約

  • ① 復活祭(イースター)おめでとうございます。
    主イエスがよみがえられ、復活と永遠のいのちへの望みを
    わたしたちに与えてくださったことを喜び、お祝いします。
    礼拝の後に、有志の方による持ち寄りで、食事をともにします。
    食べ物を持ち寄ってくださる方は、よろしくお願いします。
    食事としばらくの交わりの後、有志の方で墓参にまいります。

    ② イースター献金にご協力ください。
    世界宣教とキリスト教団体への募金、教会の働きに用います。
    受付テーブルに献金袋がありますので、ご利用ください。

    ③ (牧師より) 4月1日(月)から2日(火)に春休みをいただきます。
    緊急の連絡などは、教会の電話以外にお願いします。
    教会LINEアカウントへの連絡が便利だと思いますので、ご活用ください。

    ④ ナザレン神学校の入学礼拝は4月8日(月)の予定です。
    午前11時より、ハイブリットで開催される予定です。
    オンラインで出席をご希望の方は、牧師までお知らせください。

    ⑤ 来週の日曜日、礼拝後に月例教会役員会を開きます。
    教会役員のみなさまはよろしくお願いします。
    おもな議題は、オンライン献金の検討、教会の看板などについてです。
    役員会で話し合ってほしいことがありましたら、
    牧師または教会役員までお知らせください。

    ・能登半島地震の救援募金にご協力ください(受付テーブルの上にある家の箱)。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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