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朗読箇所

復活節4主日

旧約 創世記 1:20–31


20 神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
21 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。
22 神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
23 夕べがあり、朝があった。第五の日である。
24 神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。
25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。
31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。


新約 マタイによる福音書 5:3–12

◆幸い
3 「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
4 悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
5 柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
6 義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
7 憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
8 心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
9 平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
10 義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
11 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

説教

「極めて良い」と宣言された世界で生きる

  • 説教者  稲葉基嗣 牧師

     

    2年ほど前に、ある漫画を読みました。
    『チ。―地球の運動について―』
    というタイトルの作品です。
    昨年アニメ化もしていましたので、
    ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
    天に浮かぶ、太陽や月や星が動いているのか。
    それとも、この大地そのものが動いているのか。
    という、天動説と地動説を巡る議論を
    フィクションとして描いた作品です。
    この作品の中で、
    オクジーという名の人物が登場します。
    彼は子どもの頃に、ある疑問を抱きます。
    「夜空はいつでも美しいのに、
    なぜこの世界は
    こんなにも醜いのだろうか。」
    彼がこの疑問について、
    教会の神父に尋ねてみると、
    「この地は、この宇宙の底辺だからだよ。
    穢れたこの地から空を見上げているから、
    夜空の星はいつも美しく見えるんだよ」
    という答えが返ってきました。
    オクジーはそれ以来、
    夜空を見上げることが
    できなくなってしまいました。
    穢れたこの世界で生きる穢れた自分を
    天から誰かが、蔑むように見つめている。
    彼にとって、夜空はそんな恐ろしいものにしか、
    考えられなくなってしまったためです。
    天から蔑むように見つめられていると感じる
    彼にとっての希望は、
    もうこの世界にはありませんでした。
    この地は穢れていて、何の希望もない。
    自分の唯一の希望は、
    この穢れた世界から抜け出して、
    天国へ行くことだけ。
    オクジーにとって、
    この世界は絶望そのものでした。
    そんな彼がある時、
    地動説の考えに出会ったことが
    物語を通して描かれます。
    天体ではなく、この地球が動いている。
    そのことを通して、
    彼はこの大地は
    この宇宙の底辺なのではなく、
    宇宙の中を動き、天と調和している。
    そのような場所なのだと教えられました。
    天と地が調和しているということは、
    あの美しく見える天がこの地のように
    穢れているということを
    意味したのでしょうか?
    いいえ、違います。
    この地球は、天のように美しい。
    自分たちが生きるこの世界は、
    この宇宙の底辺の穢れた場所なのではない。
    そうではなく、美しい夜空のその一員として、
    この世界もとても美しい存在なんだ。
    そう気づいた時、彼は再び
    夜空の星を見上げることができました。
    あの美しい夜空は、
    もはや自分やこの世界の醜さを
    告げるものではありません。
    今や、この夜空の美しさは、
    この世界もそこで生きる自分も
    美しく、とても良い存在なのだと
    神からの祝福を伝えるものへと変わりました。
    漫画の中で描かれている、
    オクジーが夜空を見上げた瞬間は、
    とても印象的なシーンでした。


    この世界は醜く、穢れたものなのか。
    それとも、美しいものなのか。
    オクジーの中で引き起こされた、
    世界に対する理解を巡り、
    ぶつかり合うこのふたつの声は、
    現代に生きる私たちにとっても、
    決して他人事ではありません。
    だって、私たちだって、
    オクジーと同じような感想を抱くからです。
    「夜空はいつでも美しいのに、
    なぜこの世界はこんなにも醜いのだろうか。」
    人が憎しみ合い、争い合うのが
    なぜこんなにも当たり前に
    なってしまったのだろうか。
    戦争が終わりに向かうどころか、
    争い合う国が更に増えていく。
    できる限り自分が有利な立場に立てるように、
    相手を貶めようとする。
    自分の気に入らない、受け入れがたい人たちの
    悪口や悪い噂を流すことをやめられない。
    ほんの一握りの人たちに世界の富が集中し、
    7億人以上の人たちが
    貧しさの中で苦しんでいる。
    貧しさのせいで、
    教育を十分に受けられない子どもたち、
    犯罪に加担しなければ
    生きていけなかった人たちがいます。
    この国では毎年のように、性暴力が
    ニュースで報じられています。
    いじめや差別も繰り返されています。
    お互いに罵り合い、死ねと言い合い、
    君は醜い、悪い存在なんだと
    ささやき、呪い合う。
    森林破壊や生物の乱獲、
    プラスティックゴミの大量排出などは、
    環境や生態系の破壊に結びつき、
    地球の環境は大きく傷ついています。
    社会が提示する良い人生のモデル、
    良い家族のあり方などから外れるならば、
    白い目で見られる。
    このような世界は、美しい世界でしょうか?
    むしろ、この世界は初めから
    醜く、穢れた、問題だらけの世界だと
    結論づける方がとても簡単に思えてきます。
    私たちもオクジーと同じように、
    この世界には全く希望がないと
    結論付けてしまいたくなる日々です。


    けれども、そんな私たちや
    この世界に向かって、
    神が「極めて良い!」と宣言している姿が
    創世記1章では描かれています。
    世界に命が生じるたびに、
    人間をはじめ、
    すべての生き物が生きる場所が
    整えられるたびに、
    神は一つ一つのものを見つめました。
    そして、その一つ一つの存在や
    多様なあり方や
    命に溢れて生き生きと動く姿を喜び、
    良いと宣言されました。
    何度も、何度も、この世界は神から
    その存在を肯定され、
    良いと宣言されながら、
    成り立っていきます。
    そして、この世界にあるすべてのものが調和し、
    良い関係を結び、命に溢れている。
    そのような様子を神は見つめて、
    神はすべてのものが
    極めて良いと宣言されました。
    この世界のあらゆる全てのものを
    神は肯定的に受け止めて、
    良いと宣言し、祝福しました。
    ですから、私たちは神が良いものとして造った、
    美しい世界の中で生きています。
    それが、聖書を通して、神がはじめから、
    私たちに語りかけてくださっていることです。


    もちろん、それはこの世界のあらゆる問題を
    ないもののように取り扱い、
    まったく見ないふりをして、
    創世記の物語が神のこの宣言を紹介している
    というわけではありません。
    確かに、この世界は問題だらけだけど、
    そういった問題にはとりあえず蓋をしておいて、
    「すべてのものが良いよね」
    と伝えているわけではありません。
    というのも、この創造物語が文書として
    生み出された時期は、
    少なくともイスラエルの民が
    バビロニアという古代の大帝国へと
    強制的に連れて行かれた時代以降の
    ことだからです。
    つまり、自分たちよりも大きな
    帝国の暴力にさらされ、
    存在を否定され、
    大切なものを奪われ、
    ボロボロにされた人たちが
    この物語に耳を傾け、
    この物語を次の世代へと受け継いできました。
    自分たちが囲まれている世界はボロボロで、
    将来の希望など持てない、
    どうしようもない世界だ。
    そのように考えている人たちに、
    この創造物語が届けられました。
    彼らにとって、この世界はたしかに
    傷ついていました。
    回復不可能な状態に見えました。
    けれど、そんな彼らの世界に
    神は関わってくださいます。
    決して諦めず、
    ボロボロになったこの世界に
    命を与えるために、
    神は働いてくださっています。
    希望を持てない人びとの生きる世界を祝福し、
    無秩序な世界に、秩序と正義と平和を与え、
    その世界を「良い」と宣言してくださいます。
    ですから、創世記の物語にとって、
    この世界は本質的には醜く、
    悪に満ちた世界ではありません。
    希望なんてもう一切見出せない
    絶望しきった世界ではありません。
    傷つき、ボロボロかもしれないけど、
    神が祝福し、極めて良いと
    宣言してくださった世界です。
    今も命を与え、祝福し、良いと宣言しようと、
    神が働き続けてくださっている世界です。


    このような世界で生きる私たち人間は、
    神にとって、「良い」と語りかけられ、
    祝福を受けている存在です。
    神はそんな私たちにこの世界を託しました。
    それは、貪るため、
    争い合うためではありません。
    また、お互いに呪い合い、
    蹴落とし合うためでもありません。
    良いと宣言された世界を
    良いものとして保ち続けるためです。
    ボロボロに傷ついた世界で生きる人々に、
    あなたは良い存在なんだ、
    という言葉を届けるためです。
    お互いに罵り合い、争い合い、蹴落とし合う。
    それが当たり前のように見える、
    傷ついたこの世界に、
    誰もが美しく、良い、祝福された存在として
    神によって造られたことを伝えるためです。
    この世界のすべてのものが
    神から祝福されていることを伝え、
    お互いに対する愛や憐れみを
    取り戻すためです。
    「あなたは極めて良い」。
    「この世界は極めて良い」。
    そんな言葉を失ってしまった世界が
    美しさを取り戻し、
    回復へと導かれていくことを
    神は心から望んでいます。
    そのために、神は私たちに、
    きょうも語りかけておられます。
    思い出してください。
    あなたは良い。
    この世界は極めて良い。


    もちろん、手放しで良いって言われても、
    信じられないこともあります。
    だって、どれだけこの世界の良さや、
    人間存在の尊さに気づいたとしても、
    私たちは相変わらず、
    お互いに傷つけ合っているからです。
    良いものを良いものとして取り扱えない。
    祝福するどころか、呪ってしまう。
    そんな罪深さを抱えているのが
    私たちの現実です。
    そんな私たちのために、
    神はイエスさまを私たちのもとに
    送ってくださいました。
    イエスさまこそ、この世界の良さや
    共に生きるすべての人びとの尊さ、
    その美しさをよく知っておられた方です。
    イエスさまこそが、
    「極めて良い」と語りかけた、
    神の宣言をこの世界に
    届けようとしておられた方です。
    だから私たちは、イエスさまを見つめます。
    イエスさまと共に、
    信仰の旅路を歩んで行きます。
    イエスさまが愛や憐れみをもって
    見つめるものを私たちも見つめるために。
    イエスさまが「良い」と宣言し、
    大切にされるこの世界を
    私たちも大切にするために。
    誰に対してもその尊さを認め、
    憐れみをもって、すべての人たちに
    手を伸ばそうとしたイエスさまのあの姿に、
    私たちも倣って生きていくために。
    きょうも、変わらずに、
    神は私たちに語りかけておられます。
    この世界は極めて良い。
    あなたも、あなたと共に生きる人たちも、
    とても美しく、とても良い。
    どうかこの宣言が皆さんを通して、
    この世界に伝えられていきますように。
    そして、この世界の良さを宣言する神の言葉に、
    耳を傾けることを通して、
    この世界とそこに生きるすべてのものたちが
    その良さを、その美しさを、
    その尊厳を少しでも取り戻し、
    命の豊かさを共に喜ぶことができますように。
    本当に美しい世界だなと、
    すべての人が心から喜べる日が
    どうか訪れますように。
    私たちはそんな日を目指して、
    「極めて良い」と語りかけてくださった
    神の宣言を携えて、
    これからも信仰の旅を続けていきましょう。
    キリストの平和が皆さんと共にありますように。

週報より

  • 2025.05.11 週報より抜粋・要約

  • ① きょうは、礼拝後に月例教会役員会を行います。

    ② 徳山さんご家族が札幌新生キリスト教会へ転会されました。
    札幌新生キリスト教会より転会手続き完了の連絡をいただきました。
    孝弘さん、由香さん、奈乃葉さんの新しい教会での交わりと、
    札幌の地でのこれからの信仰の歩みを覚えて祈ります。

    ③ ジグソーパズル・カフェのお知らせ
    今週の土曜日、午前10時から午後5時に教会の礼拝堂を開放します。
    ジグソーパズルやボードゲーム、お茶菓子などを用意してお待ちしています。
    お好きなお時間に教会に足を運び、お茶やパズルなどをお楽しみください。
    ご自宅で眠っているパズルの持ち込みも大歓迎です。

    ④ 教会あら探し会(仮)のお知らせ
    教会の不用品や修理箇所、整理したい場所などを「あら探し」し、
    教会に置いてあったら良いものなどを提案し合う会を
    5月18日(日)の礼拝後に開催します。

    ⑤ 5月24日(土)に井戸湿原へハイキングを予定しています(小雨決行)。
    お弁当を持参して、午前7時に教会集合の予定です。
    参加をご希望の方は、受付テーブルの上の用紙にご記名をお願いします。


    ・ミャンマー大地震の救援募金に
     ご協力ください(受付テーブルの上にある白い箱)。
     支援金はナザレン教会の国際援助機構を通じて
     ミャンマーへ送金されます。
    ・ナザレン教会を通じて
     ボランティア団体・各被災自治体などへ送金されます。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください(アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
     牧師にお知らせください。
    ・小山駅・教会間の送迎(9時45分東口出発)があります。
     詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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