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三位一体後第14主日

創世記 10:1-32

◆ノアの子孫
1 ノアの息子、セム、ハム、ヤフェトの系図は次のとおりである。洪水の後、彼らに息子が生まれた。
2 ヤフェトの子孫はゴメル、マゴグ、メディア、ヤワン、トバル、メシェク、ティラスであった。
3 ゴメルの子孫は、アシュケナズ、リファト、トガルマであった。
4 ヤワンの子孫は、エリシャ、タルシシュ、キティム、ロダニムであった。
5 海沿いの国々は、彼らから出て、それぞれの地に、その言語、氏族、民族に従って住むようになった。
6 ハムの子孫は、クシュ、エジプト、プト、カナンであった。
7 クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカであり、ラマの子孫はシェバとデダンであった。
8 クシュにはまた、ニムロドが生まれた。ニムロドは地上で最初の勇士となった。
9 彼は、主の御前に勇敢な狩人であり、「主の御前に勇敢な狩人ニムロドのようだ」という言い方がある。
10 彼の王国の主な町は、バベル、ウルク、アッカドであり、それらはすべてシンアルの地にあった。
11 彼はその地方からアッシリアに進み、ニネベ、レホボト・イル、カラ、
12 レセンを建てた。レセンはニネベとカラとの間にある、非常に大きな町であった。
13 エジプトにはリディア人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、
14 上エジプト人、カスルヒム人、カフトル人が生まれた。このカフトル人からペリシテ人が出た。
15 カナンには長男シドンとヘト、
16 また、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、
17 ヒビ人、アルキ人、シニ人、
18 アルワド人、ツェマリ人、ハマト人が生まれた。その後、カナン人の諸氏族が広がった。
19 カナン人の領土は、シドンから南下してゲラルを経てガザまでを含み、更に、ソドム、ゴモラ、アドマ、ツェボイムを経てラシャまでを含んだ。
20 これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめたハムの子孫である。
21 セムにもまた子供が生まれた。彼はエベルのすべての子孫の先祖であり、ヤフェトの兄であった。
22 セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャド、ルド、アラムであった。
23 アラムの子孫は、ウツ、フル、ゲテル、マシュであった。
24 アルパクシャドにはシェラが生まれ、シェラにはエベルが生まれた。
25 エベルには二人の息子が生まれた。ひとりの名は、その時代に土地が分けられた(パラグ)ので、ペレグといい、その兄弟はヨクタンといった。
26 ヨクタンには、アルモダド、シェレフ、ハツァルマベト、イエラ、
27 ハドラム、ウザル、ディクラ、
28 オバル、アビマエル、シェバ、
29 オフィル、ハビラ、ヨバブが生まれた。これらは皆、ヨクタンの息子であった。
30 彼らはメシャからセファルに至る東の高原地帯に住んでいた。
31 これらが、氏族、言語、地域、民族ごとにまとめたセムの子孫である。
32 ノアの子孫である諸氏族を、民族ごとの系図にまとめると以上のようになる。地上の諸民族は洪水の後、彼らから分かれ出た。


ヨハネによる福音書 3:16–21


16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。
19 光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
20 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
21 しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

説教

どんな地図を作りたい?

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    みなさんはどんな時に
    地図を使うでしょうか。
    私は出かけるとき、
    目的地への経路を知るために使います。
    インターネット上の地図はとても便利で、
    行き先の様子を知ったり、
    出先でランチするお店を探すのにも、
    とても役立ちます。
    また、旅行や出張で
    遠い場所へ出かける場合、
    もしも歩いたらどのくらいかかるのかを
    調べてみることもあります。
    私は先週、広島県の呉市に
    行ってきたのですが、
    小山市からは徒歩で192時間かかると、
    Googleマップが教えてくれました。
    毎日8時間歩いた場合、
    24日もかかる道のりです。
    現代ではそれほどの長距離の移動を
    6時間ほとんど座っているだけで、
    目的地にまで到着してしまいます。
    そんな風に考えると、
    地図は、現代の移動手段の便利さを知り、
    過去の人たちが
    時間をかけて移動をしていたことに、
    思いを馳せる道具にもなります。
    私個人の地図の使い方だけでも、
    地図の用途は決して
    ひとつではないことが
    わかるかと思いますが、
    それ以上に、
    地図は読む人の目的によって、
    さまざまな情報を
    私たちに伝えます。
    また何よりも、地図を作る人が
    込めた意図によって、
    地図は様々な意味合いや強調点を持ち、
    私たちに世界の様々な姿を
    見せてくれます。
    その意味で、地図は
    とても多層的なものです。


    多くの人にとって、
    最も馴染み深い地図のかたちは、
    国の名前や地域の名前が
    書いてあるものでしょう。
    どの国がどの程度の国土を持っているのか、
    どこに国境があるのか、
    といった私たちの目では見えないものが、
    地図を通して目に見えるようになります。
    実際のところは目に見えない、
    そうった国境や国の領土は、
    地図の上で表現される
    この世界の権力や力関係
    と見ることもできます。
    けれども、だからといって、
    地図がたったひとつだけの意味を
    持っているわけではありません。
    地図の読み手や作り手は、
    色々なことをそこに含めることができます。
    観光、災害対策、使われている言語など、
    色々な目的をもって、
    地図を見つめることができます。
    そう考えると、地図は、
    意外と、この世界のありのままを
    映し出しているわけではないことに
    気付かされます。
    私たちの世界の見え方や、
    誰かが見て欲しいと願う世界のあり方が
    表現されているものが地図です。


    きょう私たちは、
    創世記10章を読みました。
    創世記10章は、
    言葉によって地図を描いています。
    ただ一見、これは系図のようです。
    これまで創世記に登場した
    系図は、縦に長い系図でした。
    つまり、各世代の代表者の名前を書くだけで、
    次の世代、また次の世代へと
    人々の名前をつなげていく、
    世代の長さを伝えるような系図が
    これまで創世記の中で
    登場した系図の描かれ方でした。
    創世記10章は、
    そのような縦に長い系図とは異なります。
    ノアの子孫たちから何世代も後のことを
    伝えようとはしていません。
    むしろ、一つの世代に
    ひとりの代表者を紹介するのではなく、
    できる限りすべての人を描こうと、
    詳細で、横に広い系図を描いています。
    そのため、縦に長い系図よりも、
    世代数に関しては
    短い形になっています。
    短さの代わりに、ノアの3人の息子たちの
    次の世代が14人にも増えています。
    そして、彼らの名前は、
    民族名や地域の名前を
    あらわす名前になっています。
    そのため、ノアの孫たちは世界に広がり、
    様々な民族や地域の名前の由来となった、
    という説明を提供する系図となっています。
    その意味で、ノアの3人の息子たちから
    生まれた人々が、
    世界に広がっていったことを
    言葉によって伝えているこの系図は、
    当時の人々にとって、
    言葉によって作り出された
    世界地図のようなものでした。


    ただ、これが世界地図
    のようなものだとわかっても、
    もちろん、ここに記されていることが
    古代の世界のすべて、
    というわけではありません。
    聖書の言葉を紡ぎ、
    次の世代へと手渡していった
    古代イスラエルの人たちの視点で
    この世界地図は描かれました。
    けれども、同時に、
    この地図は一人の人や
    ひとつのグループによって
    作り出されたものとは違いました。
    現代の聖書学は、
    この地図が、いくつかの地図を
    組み合わせてできたものだ
    という発見をしました。
    たしかに、言われてみれば、
    所々脱線をすることがあったり、
    一貫性のない書き方をする
    地図だと気付かされます。
    ノアの三人の息子である、
    セム、ハム、ヤフェトの子孫たちの
    名前が紹介されることによって、
    この地図はそれぞれの民族の起源を
    伝えているようにも見えます。
    かと思えば、人の名前を紹介しないで、
    民族名を伝えている箇所もあります。
    町の名前が記録されていることもあります。
    その意味で、ひとつの視点からではなく、
    いくつかの視点が重なり合って、
    多層的で、色々な見方ができるものとして、
    この地図は成り立っています。


    そんな多層的な世界のあり方を
    いくつかの地図を組み合わせることによって
    表現しているこの世界地図は、
    どのようなメッセージを
    私たちに向かって伝えているのでしょうか。
    この世界地図が持つ
    最も大きなメッセージは、
    人々が世界に増え広がった、ということです。
    それは、創世記の初めに、
    神がこの世界を造り、
    この世界で生きる生き物たちや人間たちに
    語りかけた祝福の言葉を思い起こさせます。
    この世界は、神によって「良い」と宣言され、
    「産めよ、増えよ」という
    祝福を与えられました。
    特定の人たちのみが、
    この祝福の言葉を
    受け取ったわけではありませんでした。
    あらゆる民族、
    あらゆる地域に住む人々、
    あらゆる言葉を話す人たちが
    この祝福の言葉を伝えられました。
    その意味で、この世界地図は、
    とても平等な見方をしています。
    どんな人々も、神の祝福を受けて、
    その場所で生活をしていると、
    この世界地図は宣言します。
    たしかに、ニネベ、バビロン、エジプトなど、
    古代イスラエルを苦しめた、
    帝国の名前やその都市の名前が
    ここには記されています。
    けれども、そのような人々に
    悪いという評価をすることはありません。
    あまり知られていない民族も、
    文書資料を残さなかった民族も、
    ここには含まれています。
    その意味でこの地図は、
    どんな人々に対しても、
    どんな民族や都市や地域に対しても、
    悪いという評価をしていません。
    神の祝福の結果、
    この世界に増え広がった
    民族のひとつとして、
    すべての民族を
    平等に描こうとしています。
    その意味で、創世記は
    神の祝福が十分に表現された、
    世界地図を描こうとしました。
    それは、世界そのもののあり方を
    描こうとしているだけでなく、
    創世記が願った世界のあり方を描いたような、
    地図の作り方でした。


    創世記10章に収められている
    世界地図をこのような意味で受け止めるなら、
    私たちは自分たちが生きる
    この社会やこの世界に、そして日常の中に、
    どのような地図を描くべきなのかを
    考えさせられます。
    お互いの命を喜び合い、
    神の祝福を誰もが
    実感し、楽しむために、
    私たちはどんな地図を
    作るべきなのでしょうか。
    残念ながら、地図上にあるものが、
    現実では消されている、
    無視されていることが
    何度も起こっています。
    今も、イスラエル軍によって
    ガザが攻められ、
    多くの人々がガザから離れています。
    ガザで暮らす人たちの命も、
    人間としての尊厳も踏みにじられ、
    現代国家イスラエルは神の祝福とは
    正反対の道を歩んでいます。
    それは地図の上から、
    特定の人たちを消し去り、
    塗り替えていくような行為です。
    私たちが目指すべき地図の作り方は、
    そのような暴力や権力とは、
    全く異なる方法でなされるべきでしょう。
    結局のところ、ひとりの力で、
    誰か特定の人たちの力で
    この世界や、私たちの生きる社会に、
    たった一つの地図を作ろうと思うと、
    どうしても無視されてしまう声、
    踏みにじられてしまう人たちがいるからです。
    だから、私たちに必要なのは、
    多くの人と語り合いながら、
    多くの人の声に耳を傾けながら、
    地図を作っていくことです。
    どんな場所にも地図があります。
    世界や、国や、地域だけでなく、
    私たちが生きるこの社会にも、
    家庭の中にも、教会の中にも、
    目には見えないだけで、
    色々なかたちの地図があります。
    様々な目的をもって作られた、
    色とりどりの地図があります。
    それは私たち一人ひとりが
    こうでありたいという、
    理想を反映したような地図です。
    また、私たちの現実はこういうものだよね、
    という地図でもあるでしょう。
    きっと、それぞれが心に抱く地図は異なります。
    一人ひとりの抱く興味関心によって、
    異なる目的をもった、
    異なる視点に立った地図が
    描かれているわけですから。
    だから、私たちは語り合う必要があります。
    私たちがお互いに
    まったく同じ地図を持つためではありません。
    誰かの地図を真っ黒に塗りつぶして、
    自分の地図だけを
    有効なものにするためでもありません。
    お互いの持っている地図を重ねて、
    世界の色々な見え方を知るためにです。
    お互いの断片的な地図をつなぎ合わせて、
    この社会の広さ、その豊かさを知るためです。
    私たちが思う以上に、
    世界は多様性に満ちています。
    だから、神が与えてくださった
    その豊かな違いを
    お互いに喜び合うために、
    語り合いながら、
    お互いの地図を重ね合わせて、
    お互いの声やお互いの見てる世界を
    一緒に確認し合いながら、
    私たちは神の祝福した世界を
    一緒に味わえたらと思うのです。
    きっとそういった積み重ねが、
    私たちにもこの世界にも
    必要なのだと思います。
    お互いの地図を重ね合わせた結果、
    カラフルでたくさんの発見がある地図が
    出来上がるならば、
    何と素敵なことなのでしょうか。
    誰かの存在を否定するのではなく、
    お互いの良さ、美しさを尊び、喜び合える。
    そんな世界を神は願って、
    私たちを祝福してくださったのですから。
    神の祝福が私たちの手に持つ地図の上に、
    ますます反映されていくことを
    私たちは願い続けます。
    私たちの描く地図が、
    神の祝福を映し出す地図となるように。
    そう祈りつつ、私たちは
    信仰の旅を続けていきましょう。

週報より

  • 2025.09.21 週報より抜粋・要約

  • ・ミャンマー大地震の救援募金に
     ご協力ください(受付テーブルの上にある白い箱)。
     支援金はナザレン教会の国際援助機構を通じて
     ミャンマーへ送金されます。
    ・ナザレン教会を通じて
     ボランティア団体・各被災自治体などへ送金されます。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください(アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
     牧師にお知らせください。
    ・小山駅・教会間の送迎(9時45分東口出発)があります。
     詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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