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三位一体後第16主日

創世記 11:10–12:9

◆セムの系図
10 セムの系図は次のとおりである。セムが百歳になったとき、アルパクシャドが生まれた。それは洪水の二年後のことであった。
11 セムは、アルパクシャドが生まれた後五百年生きて、息子や娘をもうけた。
12 アルパクシャドが三十五歳になったとき、シェラが生まれた。
13 アルパクシャドは、シェラが生まれた後四百三年生きて、息子や娘をもうけた。
14 シェラが三十歳になったとき、エベルが生まれた。
15 シェラは、エベルが生まれた後四百三年生きて、息子や娘をもうけた。
16 エベルが三十四歳になったとき、ペレグが生まれた。
17 エベルは、ペレグが生まれた後四百三十年生きて、息子や娘をもうけた。
18 ペレグが三十歳になったとき、レウが生まれた。
19 ペレグは、レウが生まれた後二百九年生きて、息子や娘をもうけた。
20 レウが三十二歳になったとき、セルグが生まれた。
21 レウは、セルグが生まれた後二百七年生きて、息子や娘をもうけた。
22 セルグが三十歳になったとき、ナホルが生まれた。
23 セルグは、ナホルが生まれた後二百年生きて、息子や娘をもうけた。
24 ナホルが二十九歳になったとき、テラが生まれた。
25 ナホルは、テラが生まれた後百十九年生きて、息子や娘をもうけた。
26 テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが生まれた。
◆テラの系図
27 テラの系図は次のとおりである。テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。
28 ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。
29 アブラムとナホルはそれぞれ妻をめとった。アブラムの妻の名はサライ、ナホルの妻の名はミルカといった。ミルカはハランの娘である。ハランはミルカとイスカの父であった。
30 サライは不妊の女で、子供ができなかった。
31 テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。
32 テラは二百五年の生涯を終えて、ハランで死んだ。
12篇
◆アブラムの召命と移住
1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
2 わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」
4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
5 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
6 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
7 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
8 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。
9 アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。


ヘブライ人への手紙 11:1–8

◆信仰
1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
2 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。
5 信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。
6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。
8 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。

説教

私たちは夢見る旅人

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    創世記の物語は、
    長い系図のその先に、
    アブラムと呼ばれる男性と
    その家族の物語にたどり着きます。
    そう、後にアブラハム
    と呼ばれるようになり、
    信仰の父とも呼ばれる
    人物についての物語が
    ここから始まります。
    創世記11章で記録されている
    系図から読み始めると、
    順調に物語が
    進んでいるように見えます。
    けれど、実は、
    将来の不安や希望のなさに
    この系図は直面しています。
    この系図は、縦に長い系図です。
    各世代に一人の代表者の名前を
    記録するだけに留めて、
    次の世代、次の世代へと進めていく、
    縦に長い系図です。
    この系図の特徴は、
    ただ一つの例外を除いて、
    一人ひとりの死が描かれることなく、
    次の世代へと移っていく点にあります。
    その例外として死が描かれているのが、
    アブラムの父親のテラです。
    実はアブラムとその家族は、
    父親のテラが生きていた時代に、
    故郷であるカルデアのウル
    という場所を離れて、
    カナン地方を目指して旅に出ました。
    父親のテラは、その旅の途中、
    ハランという場所にとどまっている時に、
    亡くなってしまったようです。
    テラは、アブラムの家族の家長でした。
    旧約聖書の時代、家族というと、
    3世代にもわたる、
    50人から100人規模の大きさの共同体が
    イメージされました。
    私たちが家族という言葉を耳にして
    イメージする規模よりも、
    遥かに多い人数ですね。
    このような大きな規模の家族の
    全責任を負っている家長
    という立場に置かれた人物がテラでした。
    ですから、テラの死は、
    単に家族の一員が亡くなった
    ということとは違う意味を持ちました。
    家族の全責任を引き受けていた人物を
    この家族は失いました。
    特に、カナン地方を
    目指していたその旅の途中で、
    家長であるテラを失ったこの家族は、
    大きな危機の中にありました。
    これから自分たちはどうすれば良いのか。
    テラが望んだように、
    カナンの地を目指すべきなのか。
    それとも、引き返して、
    自分たちの親戚がいる、
    生まれ故郷に戻るべきなのか。
    テラが亡きあと、
    家長となったアブラムに
    大きな選択が委ねられていました。
    新しくこの大きな家族の長となった
    アブラムにとって、
    この選択は様々な不安が
    つきまとうものだったと思います。
    これから向かっていくカナン地方で、
    自分たちの生活は果たして成り立つのか。
    将来性は本当にあるのか。
    家族全員の命を、
    そしてその生活を守るために、
    最もふさわしい選択は何なのか。
    跡取りがいない彼にとって、
    その不安は更に
    高まるものだったかもしれません。
    きっと、親戚がたくさんいる、
    故郷のウルに戻って、
    生活を立て直すことの方が現実的で、
    家長として取るべき選択のように
    思えたことでしょう。


    そんな彼に神が語りかけたとき、
    物語は動き始めます。
    神はアブラムの背中を押します。
    「生まれた地から出て行きなさい。」
    「親族のもとから出て行きなさい。」
    「父の家から出て行きなさい。」
    こんな風に、アブラムは3度も
    どこから出て行くべきなのかを
    神から伝えられています。
    その際、少しずつ範囲を狭めて、
    神は彼の決断を後押しします。
    興味深いことに、アブラムは、
    父の家を離れなさい
    と命じられています。
    父親のテラが亡くなった今、
    アブラムがこの家族の家長です。
    ということは、アブラムは
    兄弟のナホルに家長の座を委ねて、
    自分が属する家族から抜け出て、
    僅かな人たちと一緒に
    新たな家族を作って、
    カナンの地を目指した、
    ということなのでしょうか。
    そうであったならば、
    彼は何と驚くべき決断を
    したことでしょうか。
    子どものいないアブラムは、
    跡取りとして、ロトを一緒に連れて、
    カナンを目指す旅を始めました。
    何がそれほどまでに、
    アブラムを駆り立てたのでしょうか。
    神はこの時、
    アブラムがどこから出て行くべきかを
    明確に示した一方で、
    将来のことに関しては、
    不明瞭な提示をしています。
    神がアブラムに伝えた言葉は、
    「私が示す地に行きなさい」。
    それだけです。
    この言葉を聞いて、
    将来の保証のない、先の見えない旅へと
    アブラムは出て行きました。


    そもそもアブラムの父テラが
    カナン地方を目指して、
    旅をした理由はわかりません。
    神の語りかけがなければ、
    アブラムのこの旅は父親の悲願を
    果たそうとしたもののようにも
    思えてきます。
    けれども、アブラムの旅を
    決定的に方向づけたのは、
    決して、父親の意思ではありません。
    彼の旅を決定づけたのは、
    神が彼に語りかけた言葉でした。
    神はこの旅を通して、
    アブラムに何を
    伝えようとしているのでしょうか。
    決定的なメッセージは、
    「あなたは祝福の基となる」
    という言葉でした。
    ヘブライ語から直訳するならば、
    「祝福であれ」です。
    アブラムがこれから
    踏み出していくこの旅の中で、
    アブラムや彼の家族を
    神が祝福する
    という約束とは少し違います。
    神は、その祝福を
    アブラムやその家族を通して、
    全世界に伝えることを願いました。
    そう、神の祝福を受けたアブラムが旅立つから、
    彼を通して、神の祝福が
    この世界全体に伝えられていくのです。


    このようなアブラムの旅と、
    私たち教会は決して無関係ではありません。
    教会は、天の国を目指して、
    この世界を旅する神の民です。
    そう、教会の歩みは、
    目的地を目指して
    旅をしているという点で、
    アブラムの旅と似ています。
    それは、もちろん、教会という建物が
    どこかに向かって動いている
    という意味ではありません。
    教会とは、建物のことではなく、
    ここに、主イエスの名のもとに集う、
    私たち一人ひとりのことだからです。
    私たちは、定期的に
    この場所に集まり、
    顔を合わせ、
    讃美歌を歌い、
    信仰を確かめ合い、
    お互いに励まし合い、
    神の御心を求めて祈り合いながら、
    信仰の旅を続けています。
    それは、この信仰の旅を通して、
    自分たちだけが神からの祝福を
    受けるためではありません。
    そもそも、私たちが何をしなくても、
    神の恵みは私たちを
    どこまでも追いかけてきます。
    神の恵みは、豊かに、
    私たちの人生を
    その始まりから終わりまで、
    覆っています。
    自らの命を投げ出すほどに、
    すべての人を愛し抜いてくださった
    イエス・キリストは、私たちの旅に
    最後まで伴ってくださいます。
    そして、神は私たちに
    聖霊を与えることを通して、
    私たちの心にいつも愛や憐れみを
    注いでくださっています。
    ですから、神が
    「祝福であれ」と伝えるのは、
    私たち一人ひとりが
    充実した人生を歩めるためとか、
    私たちの心が
    満たされるためではありません。
    私たちの人生は、もう既に、
    神の祝福に包まれているからです。
    それなのに、神が「祝福であれ」と語り、
    私たちに祝福を注ぐのは、
    信仰の旅を歩み続ける
    私たちの存在を通して、
    神の祝福をこの世界へと
    広げていくためです。
    今も、様々な暴力によって
    命が傷ついているこの世界に、
    癒やしと命の喜びを
    もたらすためです。
    希望のないところに、
    神の憐れみを注ぎ、
    希望をもたらすためです。
    神の祝福された世界に、
    神の祝福が行き届いていくという、
    神の夢を私たち自身が
    神と一緒に担うために、
    神は私たちに向かって「祝福であれ」と
    語りかけておられるのです。


    ところで、去年の4月に、
    礼拝の中で使っている歌集の中に
    「ドリーマー」という曲を加えました。
    神の約束を握りしめて信仰の旅を続ける、
    私たち信仰者の姿を歌った讃美歌です。
    アブラムに語られた
    神の言葉から考えるならば、
    神が私たちに与える約束は、
    私たちが祝福の源となる
    ということでしょう。
    祝福の源であるということは、
    そこから祝福が沸き起こってきて、
    周囲に広がっていく、ということです。
    この世界にとっての「祝福であれ」と
    神から伝えられている私たちから、
    喜びや愛や憐れみが、
    この世界への祝福として湧き出ていく。
    神は、そんな風にして、
    私たちを通して、この世界を祝福し、
    祝福に溢れた世界にしたいと願っています。
    だから、讃美歌の中で「夢を見よう」と歌う時、
    神の祝福が豊かに広がっていく世界を
    私たちは夢見ていきたいと思うのです。
    それがどれだけ困難であったとしても、
    「祝福であれ」と私たちに伝えた神は、
    この世界を祝福することを
    決して諦めないからです。


    きょう、私たちは礼拝のあとに、
    小山教会の50周年の
    お祝いを予定しています。
    宇都宮での伝道所時代から始まって以来、
    半世紀、小山教会の歩みが続いたことを
    単に喜ぶためではありません。
    神がこの教会に集う私たちに、
    教会全体に対して、
    「祝福であれ」と語りかけてくださいました。
    そんな私たちに出来ることは
    小さなことだったかもしれませんし、
    これからも小さなことかもしれません。
    けれど、それでも、
    神の祝福をこの地域に、
    そしてこの世界に届けるために、
    神が私たちの集う教会を
    祝福の源として、50年もの間、
    用い続けてくださったことの
    証でもあると思います。
    神が許してくださる限り、
    私たちが集う小山教会は、
    この地で共に信仰の旅路を
    これからも歩み続けていきます。
    それは、もちろん、
    ここに集う人たちだけのためでは
    決してありません。
    ここに集う私たちと
    共に生きる人たちのために、
    これからこの場所を訪れる人たちのために、
    顔も名前も知らない人のために、
    主キリストにあって、
    私たちは祝福の源であることができます。
    みなさんが祝福であることによって、
    この世界に主キリストにある祝福が
    伝わっていくからです。
    神の祝福がこの世界へと広がっていく。
    そんな神の抱く夢を一緒に見ながら、
    私たちはこれからも、
    そう次の10年、25年、そして50年も、
    共に歩んで行きましょう。
    夢見る神の民である私たちの旅は、
    神の祝福をこの世界に
    喜びをもって分かち合っていくために、
    これからも続いていくのですから。

週報より

  • 2025.10.05 週報より抜粋・要約

  • ① 4月1日に小山教会は、宇都宮伝道所正式発足から数えて50年を迎えました。
    きょうは礼拝後に小山教会50周年のお祝いの時間があります。
    お時間のある方はぜひご一緒ください。

    ② 10月19日(日)の礼拝後に、小山祈りの家でピクニックを予定しています。
    だいたいの人数把握のため、現時点で参加予定の方は、
    受付テーブルに置いてある用紙にお名前をご記入ください。

    ③ 『モレノ』特別号へのご協力のお願い
    小山教会50周年の記念として、『モレノ』特別号を年内に発行予定です。
    特別号編集チームは、小山教会での思い出や、これからの教会への思いを
    綴った原稿を募集しています(400〜800文字程度、締切は10月末)。
    たくさんの方のご寄稿をお待ちしています。

    ③ 外壁塗装のための献金へのご協力のお願い
    私たちの教会はおよそ10年ごとに礼拝堂の外壁塗装を行っています。
    9月30日時点で、目標金額(145万円)まで残りおよそ59万円です。
    ご協力いただける方は、受付正面の壁にかけてある献金袋をご使用ください。

    ④ 今週土曜日、関東地区ファミリーキャンプが目黒教会で開催予定です。
    関東地区の青年会(NYI)主催のイベントです。
    基嗣牧師は1日目のみ参加して、その日の夜に小山に戻る予定です。
    ご案内がギリギリになってしまいましたが、
    参加をご希望の方は牧師までお知らせください。

    ・ミャンマー大地震の救援募金に
     ご協力ください(受付テーブルの上にある白い箱)。
     支援金はナザレン教会の国際援助機構を通じて
     ミャンマーへ送金されます。
    ・ナザレン教会を通じて
     ボランティア団体・各被災自治体などへ送金されます。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください(アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
     牧師にお知らせください。
    ・小山駅・教会間の送迎(9時45分東口出発)があります。
     詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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