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朗読箇所

四旬節第9主日

旧約 イザヤ書 2:1−5

◆終末の平和
1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。
2 終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい
3 多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。
4 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
5 ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。


新約 ルカによる福音書 24:36−53

◆弟子たちに現れる
36 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
37 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。
38 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。
39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」
40 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。
41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。
42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、
43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」
45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、
46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、
48 あなたがたはこれらのことの証人となる。
49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
◆天に上げられる
50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。
51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。
52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、
53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

説教

傷ついた主イエスが間に立っている

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    ルカによる福音書は、
    復活したイエスさまと弟子たちが
    再会した一連の出来事を
    一日の出来事のように記録しています。
    朝早くに、イエスさまの体がおさめられた
    お墓へ行った女性たちは、
    イエスさまの身体がないことに気づきました。
    そして、ふたりの天使たちを通して、
    彼女たちにイエスさまの復活は知らされました。
    彼女たちは、驚きながらも、
    喜んで他の弟子たちにこのことを報告します。
    けれども、誰も自分たちの話しを
    真剣に受け止めてくれません。
    それもそのはずです。
    だって、イエスさまはたしかに十字架にかけられて、
    息を引き取ったのですから。
    イエスさまが復活したという、女性たちの知らせは、
    現実逃避のように感じられたことでしょう。
    死という、たしかで、
    決して人間の力では変えることの出来ない現実が
    そこには横たわっていたのですから。

    けれども、彼女たちの話を聞いた後に、
    エルサレムからエマオへと旅立ったふたりの弟子たちは、
    気づかぬうちにイエスさまと再会し、
    イエスさまと語り合い、夕食を共にします。
    一緒にいるのはイエスさまだと気づいたときには、
    イエスさまはいなくなってしまいました。
    でも、彼らは急いでエルサレムへと戻り、
    仲間たちに自分たちの経験した出来事を話します。
    自分たちの話しを終えた後、
    他の人たちの反応を聞いてみると、
    どうやら、他にもイエスさまと出会った人たちがいたようです。

    このように、一日のうちに
    次々とイエスさまが復活したという知らせが
    自分たちのもとに届いたため、
    イエスさまの弟子たちは、
    この知らせに騒ぎ立ち、話し合っていました。
    多くの人は、この話を受け止められずにいたでしょう。
    イエスさまが復活したことを聞いて、
    そのことをすぐに受け止められるほど、
    一人の人の死というものは
    人間の力でどうにか出来るものではありません。
    復活したイエスさまと直接出会えた人たちが、
    喜んでこの報告をすればするほど、
    夢や幻想でも見たのではないかという疑いが深まり、
    ますますイエスさまが復活したという知らせを
    信じられなくなったことでしょう。

    そんなところに、話題の中心人物である、
    復活したイエスさまが登場します。
    気がつくと、イエスさまは、
    話をしていた弟子たちの真ん中に立ち、
    弟子たちに挨拶を交わします。
    「あなたがたに平和があるように」と。
    突然自分たちの前に現れたイエスさまを見た
    弟子たちは、喜ぶことなどできず、
    むしろ、怖くなり、取り乱しました。
    彼らが尊敬し、愛し、慕っていた
    イエスさまが復活したことを直接知ることができたのに、
    なぜこんなにも弟子たちは、
    恐ろしくなってしまったのでしょうか。
    実際に死者がよみがえった現実を目の当たりにしても、
    イエスさまの復活を簡単には
    受け止められなかったからなのでしょうか。
    それとも、イエスさまが逮捕され、
    十字架にかけられ、殺された時、
    自分たちはイエスさまを見捨てて逃げ出してしまったことに
    負い目を感じていたのでしょうか。
    いずれにせよ、「平和があるように」と告げる、
    イエスさまの言葉とは正反対の心の状態を抱えて、
    弟子たちはイエスさまと再会しました。

    イエスさまは、弟子たちが
    恐れる必要がないことを伝えつつ、
    自分がたしかに復活したことを
    受け止めてもらおうとしています。
    決して、弟子たちの目の前にいる自分は、
    幽霊でもなければ、
    夢や幻でもないことを伝えるために、
    イエスさまは、自分の手と足を見せ、
    自分の身体に触れるようにと、弟子たちに伝えます。
    そして、食事をとる姿を見せて、
    あの頃と何も変わらない自分の姿を
    弟子たちに見せました。
    そのようにして、イエスさまは弟子たちの疑う心や
    不安や恐れを抱く心を落ち着け、
    自分がたしかに復活したという事実を
    自分自身の姿を見せることを通して知らせました。

    このとき、「平和があるように」と
    弟子たちに告げた復活したとイエスさまが、
    手と足を弟子たちに見せたことは、
    とても象徴的な意味をもっているように思えます。
    手と足は、イエスさまが十字架にかけられたときに、
    釘を刺された場所でした。
    つまり、手と足は、
    イエスさまの死を引き起こしたあの出来事を
    思い起こさせる、身体の部位でした。
    ヨハネによる福音書は、復活したイエスさまのその手に
    傷が残っていたことを伝えていますが、
    ルカは明確に伝えてはいません。
    けれども、手と足に注意を向け、触れるようにと、
    イエスさまが弟子たちに伝えている姿が描かれているため、
    イエスさまの手や足に傷が残っていたと、
    ルカ自身も考えているのは明らかでしょう。

    復活したイエスさまは、
    神によっていのちを与えられ、よみがえりました。
    そうであるならば、手足の傷だって
    癒やされても良かったはずです。
    十字架刑によって失ったいのちが取り戻されるだけでなく、
    傷ついたその身体が回復しても良かったはずです。
    それなのに、イエスさまは傷ついたままで復活しました。
    それは、その傷ついたご自分の手足を見せることを通して、
    十字架の死に至るまでの出来事と、
    イエスさまが復活した出来事の両方を
    伝えるためだったのでしょう。
    もしも、イエスさまの手足がきれいなままだったら、
    そこに傷跡がまったくなかったならば、
    十字架上での暴力が覆い隠されてしまうことでしょう。
    けれども、復活したイエスさまは、
    傷ついたその両手と両足を隠すことなく、
    傷を抱えながら、弟子たちに向き合いました。
    イエスさまは、自分のその傷を無視して、
    平和を告げることはしませんでした。
    復活したイエスさまが傷跡をその身体に残しながら、
    弟子たちと出会い、平和を告げたこの姿は、
    イエスさまが復活に至るまでに経験した
    出来事を弟子たちにも、
    そしてわたしたちにも思い起こさせます。
    イエスさまは、身体を痛めつけられ、苦悩を抱え、
    人びとに見捨てられ、侮辱を受けながら、
    いのちを落としました。
    ですから、過去のことはすべて綺麗さっぱり忘れて、
    傷ついた経験などは完全に無視して、
    さぁ、平和を築いていこうといったように、
    イエスさまは弟子たちに伝えたわけではありません。
    むしろ、そういった、決して無視できない傷を抱えながら、
    イエスさまは弟子たちと向き合い、
    彼らに平和を告げています。
    そのような、イエスさまの姿そのものが、
    弟子たちに対する罪の赦しの宣言です。
    その身体に受けた傷は残り続けながら、
    イエスさまは弟子たちと出会い、顔と顔を合わせました。
    けれども、そんな傷を乗り越えながら、
    弟子たちの間に、
    弟子たちとイエスさまのコミュニティの中に、
    平和を築いていくことが出来る。
    イエスさまはそんな願いと確信を込めて、
    困惑し、恐れる弟子たちの間に立って、
    「あなたがたに平和があるように」と、
    弟子たちに語りかけたのでしょう。

    このようなイエスさまの姿は、
    わたしたちにとって大きな希望です。
    だって、わたしたちは誰もが
    傷や苦悩や叫びを抱えながら、
    誰かと出会うからです。
    わたしたちは、自分が受けてきた傷を、
    同じように、他の誰かに与えてしまうことがあります。
    傷を抱えながら誰かと出会うから、
    同じような傷を受けるのが
    怖くなることだってあります。
    目の前の人の苦悩や叫びを見つめるから、
    身体が硬直し、困惑し、
    どうしたら良いかわからなくなることもあります。
    けれども、イエスさまはそんな傷跡をその身に残しながら、
    弟子たちの間に立って、平和を告げました。
    誰もがそれぞれにいろいろな傷を抱えていても、
    その傷を乗り越えながら、
    わたしたちは平和を築いていけるという希望を
    イエスさまはその姿を通して
    弟子たちやわたしたちに伝えています。
    何よりも、わたしたちが抱える傷や苦悩や叫びを
    傷ついたイエスさまが十分に知っておられます。
    イエスさまはわたしたちの間に立って、
    まるでわたしたちの間を取り持ち、橋を渡すかのように、
    平和を告げておられます。

    ですから、イエスさまが告げる平和は、
    わたしたちが全く傷つけ合わず、
    傷を決して抱えないというものではありません。
    そうではなく、お互いの弱さや足りなさや
    罪深さによって傷つけ、傷つけられ、
    今も傷ついているわたしたちが、
    神によって与えられている罪の赦しに基づいて、
    お互いを受け入れ合い、
    お互いを赦し合いながら、
    手を取り合っていけるというあり方です。
    復活の主であるイエスさまは、
    わたしたちと共にいてくださいます。
    そして、イエスさまがわたしたちよりも先に、
    傷を負いながらも、平和を求め、平和を告げる、
    その姿を見せてくださっています。
    ですから、イエスさまの姿に倣って、
    そのような形でわたしたちの身近なところから、
    わたしたちも平和を築いていくことができると、
    わたしたちは希望を抱いて受け止めることができます。
    わたしたちが、罪の赦しとそれに基づく平和に生きるならば、
    キリストにあって、罪の赦しの宣言と
    キリストにある平和は、ここから、
    わたしたちの間から広がっていきます。
    復活の主であるイエスさまご自身が
    弟子たちに出会いに来てくださったことを通して、
    傷を抱えたまま、弟子たちの間に立って
    平和を告げてくださったことを通して、
    それが可能であることを
    明らかにしてくださったのですから。
    ですからわたしたちは、平和への希望を失いません。
    わたしたちの罪ゆえに傷ついている主イエスが、
    それでも、わたしたちのために、
    わたしたちの間に立ち続けて、
    罪の赦しとそれに基づく平和をもたらしてくださると、
    わたしたちは信じているからです。

週報より

  • 2024.04.14 週報より抜粋・要約

  • ① きょうはティータイムの後、月報『モレノ』の編集会をおこないます。
    モレノチームのみなさま、よろしくお願いします。
    原稿や写真のご寄稿は、きょうが締切日です。
    モレノの製本は、来週の礼拝後におこないます。ご協力よろしくお願いします。

    ② きょうは礼拝の中で役員就任式をしました。
    2月の総会で選ばれた5名の方々が
    今年度の教会役員の働きを担ってくださいます。よろしくお願いします。
    2023年度に教会役員を引き受けてくださったみなさま、
    ありがとうございました。

    ③ 『交読詩編 聖書協会共同訳』は5月半ば頃から使い始める予定です。
    礼拝で用いる聖書の訳が聖書協会共同訳に変更したことに伴い、
    礼拝の中での詩編交読も変更する予定です。
    これまでみどりの歌集を使っていましたが、5月半ば頃からは、
    新しく購入した『交読詩編 聖書協会共同訳』を使い始める予定です。
    準備が整いましたら、改めてお知らせします。

    ④ イースター献金にご協力ください。
    世界宣教とキリスト教団体への募金、教会の働きに用います。
    受付テーブルに献金袋がありますので、ご利用ください。


    ・能登半島地震の救援募金にご協力ください(受付テーブルの上にある家の箱)。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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