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朗読箇所

三位一体後第8主日

創世記 7:1–8:5


1 主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。
2 あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また、清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。
3 空の鳥も七つがい取りなさい。全地の面に子孫が生き続けるように。
4 七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした。」
5 ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。
6 ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。
7 ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。
8 清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、
9 二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。
10 七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。
11 ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。
12 雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、
13 まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。
14 彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、
15 命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。
16 神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた。
17 洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。
18 水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。
19 水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。
20 水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った。
21 地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。
22 乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。
23 地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。
24 水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。
8篇
1 神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。
2 また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降りやみ、
3 水は地上からひいて行った。百五十日の後には水が減って、
4 第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。
5 水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂が現れた。


コリントの信徒への手紙 一 1:10–17

◆一致の勧め
10 さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
11 わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。
12 あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。
13 キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。
14 クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。
15 だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。
16 もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。
17 なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。

説教

箱舟の中を見つめる

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    東京ディズニーランドに、
    「イッツ・ア・スモールワールド」
    というアトラクションがあります。
    列に並び、建物に入り、
    順番になると舟に乗り込みます。
    およそ10分程度の船旅が始まります。
    その船旅は、世界の色々な地域へと
    向かっていくものです。
    そこでは、世界中の様々な文化で生きる
    子どもたちの人形が、
    動物たちと一緒に、
    踊り、歌っている様子を
    舟の中から見ることができます。
    そして、最後には育った国や
    文化など関係なしに、
    様々な背景を持つ子どもたちが
    一緒に歌う光景が広がり、
    このアトラクションは終わります。
    ですから、アトラクションを通して
    経験するその船旅は、
    とても楽しげで、
    そして平和的なものです。


    きょう私たちは
    創世記に記録されている、
    ノアの箱舟の物語を読みました。
    箱舟にノアとその家族、
    そして様々な生き物たちが乗り込みます。
    箱舟に乗り込んだ彼らは、
    「イッツ・ア・スモールワールド」のように、
    楽しげな外の世界の様子を
    舟の中から眺めることが
    できたのでしょうか?
    いいえ、そんなことありませんね。
    むしろ、この物語において、
    箱舟の外に広がる世界は
    「イッツ・ア・スモールワールド」とは、
    真逆の世界です。
    洪水が起こり、
    水はあらゆる命を
    次々と奪っていきました。
    そして、洪水は、
    命ある生き物たちの居場所をも
    奪っていきました。
    このような洪水物語は、
    世界中の様々な場所で、
    発見されています。
    水は私たち人間にとって、
    必要不可欠なものであるため、
    人々は川や湖のそばで生活をし、
    多くの文明は水のそばで発展しました。
    けれども、その一方で、
    川の氾濫や豪雨に伴う洪水は、
    人々の命を常に危険に晒しました。
    だからこそ、世界各地で洪水物語が
    発見されることはとても自然なことです。
    その意味で、さきほど読んだ、
    ノアの洪水物語もそのひとつとして
    数えることもできるでしょう。


    けれども、創世記に記録されている、
    このノアの箱舟の物語は、
    単に、洪水の危険を伝える
    教訓のようなものとしては
    描かれていません。
    というのも、この地上に
    もたらされる洪水は、
    単なる水による災害とは
    また違うものとして
    描かれているからです。
    それは、一言で言うならば、
    神が造った世界に、
    カオスが侵入し、
    混沌とした状況が世界中に
    広がっていくような出来事でした。
    この洪水は、単なる
    激しい集中豪雨の結果ではありません。
    この大地のあらゆる水源から
    水が吹き出しています。
    また、神のみが開くことができると
    考えられていた、天の窓が開かれて、
    天から水が怒涛に押し寄せてきます。
    これらの水はどちらも、
    大地から吹き出る水も、
    天の窓から降り注ぐ水も、
    創世記1章で神が世界を造った時、
    神によって上と下に分けられた
    水を思い起こさせるものでした。
    創世記1章において、
    その上下に分けられた水は、
    もともとはこの世界を覆っていた、
    混沌の水でした。
    この世界をぐちゃぐちゃにし、
    暗闇をもたらしていたものです。
    つまり、ノアの箱舟の物語によれば、
    神が世界を造る前の
    状態に戻す出来事として、
    水が上からも下からも
    世界に侵入するというかたちで
    洪水が起こり、
    世界が混沌で覆われていきました。
    そして、このような洪水を
    もたらす原因となったのが
    人間の罪や悪でした。
    そう考えると、洪水物語は
    とても象徴的な意味を
    含んでいることに気付かされます。
    人間の罪がこの世界に様々な形で
    混沌を引き起こしている。
    そして、それに囲まれて、
    私たちは生きていると、
    伝えているためです。
    そうであるならば、
    このことは、現代に生きる
    私たちにとっても、
    大きな意味があると思います。
    地球温暖化は、
    私たちが生きる
    この地球の環境を変化させ、
    自然災害を増やしています。
    農作物の収穫量が変化し、
    また品質にも大きな影響を与えています。
    これが更に加速するならば、
    深刻な食糧不足を世界中に
    もたらすことになりかねません。
    戦争や紛争は人々の命を奪い、
    文明を破壊し、
    廃墟を増やすばかりか、
    周囲の自然環境を傷つけ、破壊し、
    この地球で共に生きる
    さまざまな生き物の命を奪っています。
    そのようなことに意識を向けるならば、
    私たち人間の罪や過ちが
    混沌を引き起こしていて、
    そのような混沌が溢れ、
    時には混沌の力に
    覆われているように感じられる、
    そのような世界の中で
    私たちは生きているという事実から、
    目を背けることはできないでしょう。


    洪水物語は、このような混沌に囲まれた中で、
    自分たちが生きていることを
    人々に思い起こさせました。
    たしかに、神によって、
    その箱舟は守られていました。
    けれども、このような水の上を漂い続け、
    混沌とした世界に囲まれて生きる時間が
    一体これからどれほど続くのかは、
    箱舟に乗っている人たちにはわかりません。
    洪水の中で漂う箱舟は、
    そのような現実を想像させました。
    この舟は、「箱舟」と訳されているように、
    大きな長方形の箱として描かれています。
    舟の舵を取るための装置や
    帆を張るためのマストなどは
    描かれていません。
    それもそのはずです。
    この箱舟での旅に
    具体的な目的地は
    設定されていないからです。
    ただ混沌とした洪水から
    命を救うために用意された、
    水の上を漂う箱です。
    そのことを思う時、
    箱舟の中で生きることは
    どれほど過酷なものだったのかと
    私は想像します。
    創世記の記録によれば、
    およそ一年の間、
    彼らは箱舟にいたことが推測できます。
    世界は水で覆われてしまったため、
    外には決して出ることはできません。
    いつ世界から水が引いて、
    乾いた土地が現れるのかもわかりません。
    その意味で、箱舟に乗っている人たちにとって、
    箱舟の中こそが、自分たちの生きる世界へと
    変わっていきました。
    もちろん、箱舟の中にいるのは
    人間だけではありません。
    様々な生き物たちが
    箱舟の3つのフロアの中で、
    分かれて生活をしています。
    そう、箱舟という名の小さな世界で、
    彼らは生きることになりました。
    その狭い世界の中で、
    あらゆる生き物たちとの共存が必要でした。
    もしも箱舟の中での生活まで
    破綻してしまったならば、
    すべてが破綻してしまいます。
    人間たちだけでなく、
    すべての生き物たちの間で、
    食べ物が分かち合われなければなりません。
    限られたスペースを
    一緒に分かち合い、
    譲り合わなければなりません。
    箱舟の中の環境を
    清潔に保つための努力だって、
    ノアや彼の家族には必要でした。
    そんな小さな世界の中で、
    ノアとその家族、
    そして箱舟に乗った生き物たちは
    一緒に生活をしていました。
    それは、ノアやノアの家族にとって、
    無理難題だったのでしょうか。


    混沌とした世界に囲まれていても、
    神に守られた箱舟の中で、
    すべての生き物がお互いの命を
    尊重し合って、共存することができる。
    そんな可能性を箱舟は提示するかのように、
    箱舟について興味深い描写がなされています。
    日本語訳の聖書で、7章18節に
    「箱舟は水の面を漂って行った」
    と記されています。
    旧約聖書が記されたもともとの言葉である、
    ヘブライ語で、この箇所を確認してみると、
    「歩く」や「進む」という意味の
    単語が用いられていることがわかります。
    「歩く」という意味の単語は、
    創世記において、これまで、
    ノアとエノクに使われていました。
    彼らが神と共に歩んだ
    ということを伝えるときに、
    この「歩く」という意味の単語は
    用いられてきました。
    そんな言葉が箱舟に使われて、
    箱舟が混沌の水の上を漂っている
    様子が描かれています。
    それはまるで、
    混沌とした世界の中であるけれども、
    箱舟に生きる共同体が
    神のみ心のうちに歩み、
    お互いに手を取り合いながら、
    その小さな世界の中で生きていたことを
    象徴的に伝えているかのようです。
    そんな風に、この物語で描かれている
    箱舟を見つめると、
    とても大きな希望が
    その中にはあったのだと思わされます。


    そのようにお互いに手を取り合って
    箱舟の中で生きたすべてのものたちを
    神は決して忘れることなく、心に留めました。
    人間たちだけでなく、
    箱舟の中にいたすべての生き物たちを
    神が心に留めた時、
    洪水の水は減っていき、
    箱舟はある山の上にたどり着きました。
    箱舟が「アララト山」という山の上に
    止まったという記述があるため、
    多くの人々はこの出来事を
    考古学的に証明したいと願い、
    箱舟の痕跡を探し続けました。
    けれども、この物語が促しているのは、
    箱舟の残骸を探しあてる
    ことではありません。
    むしろ、混沌の水の上を
    神の守りの中で漂っていた、
    あの箱舟の中を、
    箱舟で共に生活をした小さな共同体を
    見つめることです。
    この箱舟の中で
    一体何が起こっていたのでしょうか。
    混沌に包まれた世界のただ中で、
    それでも、神のみ心のうちに、
    人々やあらゆる生き物が手を取り合って、
    小さな世界を造っていけるという希望を
    箱舟は提示し続けています。
    箱舟という入れ物を
    探しても意味がありません。
    その箱舟という入れ物の中に広がっていた、
    小さいけれども、お互いの命を喜び、
    助け合える共同体こそが
    私たちにいつも必要なものです。
    そう、箱舟の中からアトラクションのように、
    箱舟の外に広がる世界を
    見つめるのではありません。
    まさに自分が乗っている箱舟の中で、
    お互いの存在を尊重し合い、
    手を取り合って歩むことができる、
    小さな世界を作り上げていくことが必要だと、
    この洪水物語は伝えています。
    そんな小さな世界が、
    混沌が広がる世界の希望となることを
    神は願いながら、私たちのこの世界を
    見つめておられます。


    私たちが生きるこの社会の中で、
    箱舟のように機能を果たすものは
    たくさんあります。
    それは教会と私たちが呼ぶ、
    この信仰共同体の交わりであり、
    家族や地域社会、学校や職場、日本社会など、
    様々な社会集団が箱舟のような
    機能を果たし得るでしょう。
    混沌とした状況の中であっても、
    共に手を取り合って、
    お互いを尊重し合える、
    そんな世界を共に形作っていくことを
    目指すことができるでしょう。
    けれども、悲しいことに、
    私たちの生きるこの世界は、
    箱舟の中に誰かを招いて、
    共に生きるよりも、
    箱舟の中から特定の人を
    追い出すことを
    得意としてしまっています。
    多くの人が手を取り合って
    生きる道を歩むよりも、
    武力や核兵器の脅しによって、
    世界の均衡を保とうとしています。
    そうしないと、安心できないと、
    まるでそれが世界を平和に保つための
    唯一の方法であるかのように、
    声の大きな人たちが
    声高に叫んでいます。
    でも、私たちはそれは、
    混沌がこの世界に、
    箱舟の中に広がる方法だと
    知っています。
    それは、箱舟の外の世界の
    やり方だと知っています。
    だからこそ、私たちは
    箱舟の中で築かれた、
    あの小さな世界を見つめます。
    ノアとその家族、
    そして箱舟に乗った生き物たちが共存し、
    方舟という名の、
    ひとつの小さな世界を形作れたことに
    希望を見出します。
    何よりも、私たちは、
    主キリストにあって、
    すべての人が、そしてすべての被造物が
    手を取り合えると信じています。
    そんな箱舟の中に広がった
    共同体のあり方を
    私たちは教会から、
    この場所から始めましょう。
    そして、箱舟の中の小さな共同体が、
    平和のうちにこの世界へと
    広がっていきますように。
    そしてやがて、地球という大きな共同体が
    箱舟の中で築かれた平和の共同体を
    映し出すものであることを
    私は心から願っています。

週報より

  • 2025.08.03 週報より抜粋・要約

  • ① 8月15日(金)午後7時30分より、平和の祈りを行います。
    わたしたちは8月を平和のために祈る月としています。
    今年は今週金曜日に、テゼの賛美を用いて、平和のために祈る集会を行います。
    当日はYouTubeとインスタグラムでのライブ配信も行う予定です。

    ② 23日(土)午前9時より、子ども1日キャンプを予定しています。
    今回はランチに流しそうめんを予定しています。
    こどもメインのイベントですが、大人のみなさんもぜひご予定ください。
    準備や当日のお手伝いをしてくださる方を募集しています。
    お手伝いいただける方は、基嗣牧師またはポールさんにお知らせください。

    ③ 8月31日(日)の礼拝後に教会全体会を開催いたします。
    教会への要望、取り組みたいこと、将来の夢、ビジョンなど、
    みんなで話し合いたいことがありましたら、牧師にお知らせください。
    当日は全体会の前にランチの会も予定しています。出席をぜひご予定ください。

    ④ 外壁塗装のための献金へのご協力のお願い
    私たちの教会はおよそ10年ごとに礼拝堂の外壁塗装を行っています。
    7月末時点で、目標金額(140万円)まで、あとおよそ80万円となりました。
    献金袋に予約献金の欄がありませんでしたので、
    予約献金の記入欄を追加したものを新しく用意しました。
    ご協力いただける方は、受付テーブルの上にある献金袋をご使用ください。

    ⑤ 16日(土)から21日(木)、基嗣牧師は夏季休暇となります。
    緊急の連絡は個人携帯、または教会LINE・メールへご連絡ください。
    次の日曜日、17日(日)の礼拝は石田学先生が担当してくださいます。

    ・ミャンマー大地震の救援募金に
     ご協力ください(受付テーブルの上にある白い箱)。
     支援金はナザレン教会の国際援助機構を通じて
     ミャンマーへ送金されます。
    ・ナザレン教会を通じて
     ボランティア団体・各被災自治体などへ送金されます。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください(アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
     牧師にお知らせください。
    ・小山駅・教会間の送迎(9時45分東口出発)があります。
     詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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