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朗読箇所

待降節第1主日

創世記 38:12–26


12 かなりの年月がたって、シュアの娘であったユダの妻が死んだ。ユダは喪に服した後、友人のアドラム人ヒラと一緒に、ティムナの羊の毛を切る者のところへ上って行った。
13 ある人がタマルに、「あなたのしゅうとが、羊の毛を切るために、ティムナへやって来ます」と知らせたので、
14 タマルはやもめの着物を脱ぎ、ベールをかぶって身なりを変え、ティムナへ行く途中のエナイムの入り口に座った。シェラが成人したのに、自分がその妻にしてもらえない、と分かったからである。
15 ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った。
16 ユダは、路傍にいる彼女に近寄って、「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と言った。彼女が自分の嫁だとは気づかなかったからである。「わたしの所にお入りになるのなら、何をくださいますか」と彼女が言うと、
17 ユダは、「群れの中から子山羊を一匹、送り届けよう」と答えた。しかし彼女は言った。「でも、それを送り届けてくださるまで、保証の品をください。」
18 「どんな保証がいいのか」と言うと、彼女は答えた。「あなたのひもの付いた印章と、持っていらっしゃるその杖です。」ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった。
19 彼女はそこを立ち去り、ベールを脱いで、再びやもめの着物を着た。
20 ユダは子山羊を友人のアドラム人の手に託して送り届け、女から保証の品を取り戻そうとしたが、その女は見つからなかった。
21 友人が土地の人々に、「エナイムの路傍にいた神殿娼婦は、どこにいるでしょうか」と尋ねると、人々は、「ここには、神殿娼婦などいたことはありません」と答えた。
22 友人はユダのところに戻って来て言った。「女は見つかりませんでした。それに土地の人々も、『ここには、神殿娼婦などいたことはありません』と言うのです。」
23 ユダは言った。「では、あの品はあの女にそのままやっておこう。さもないと、我々が物笑いの種になるから。とにかく、わたしは子山羊を届けたのだが、女が見つからなかったのだから。」
24 三か月ほどたって、「あなたの嫁タマルは姦淫をし、しかも、姦淫によって身ごもりました」とユダに告げる者があったので、ユダは言った。「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」
25 ところが、引きずり出されようとしたとき、タマルはしゅうとに使いをやって言った。「わたしは、この品々の持ち主によって身ごもったのです。」彼女は続けて言った。「どうか、このひもの付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べください。」
26 ユダは調べて言った。「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」ユダは、再びタマルを知ることはなかった。


マタイによる福音書 1:1-6a


1 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
2 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
3 ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、
4 アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、
5 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
6 エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、

説教

誠実さをもって生きる

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    みなさんは、トリックスターという言葉を
    聞いたことがあるでしょうか。
    トリックスターは、
    詐欺師やいたずらをする人などと、
    訳される言葉です。
    そんな風に聞くと、
    あまり好ましくない人物を
    表現する言葉だと思ってしまいます。
    ただ、昔話や神話のような物語に
    登場する人物の特徴を表現するために、
    トリックスターという言葉を
    使うこともあります。
    その場合は単に人を騙したり、
    出し抜いたりする人物とは違います。
    というのも、物語に登場する
    トリックスターは、誰かを騙したり、
    出し抜いたりすることによって、
    物語に大きな変化や転換点を
    提供するような
    重要な役割を担うからです。
    トリックスターが誰かを騙したり、
    出し抜いたりすることによって、
    物語が良い方向へ向かうこともあれば、
    悪い方向へ向かってしまうこともあります。
    彼らは成功も、失敗もします。
    その意味で、彼らの行動の結果が
    どうなるのかはさておき、
    彼らは物語の中で
    とても目立つ存在です。


    誰かを騙したり、
    出し抜いたりして、
    物語を動かすような人物は、
    聖書の中にも登場します。
    さきほど読んだ
    創世記の物語に登場する
    タマルと呼ばれる女性は、
    そのひとりです。
    そう、この物語において、
    タマルは義理の父親であるユダを
    騙し、出し抜いています。
    彼女は自分の身を偽り、
    遊女を演じて、
    自分の身体をユダに売ります。
    そうすることによって、
    タマルはユダを騙し、出し抜きました。
    けれども、なぜタマルは
    そこまでのことをする必要が
    あったのでしょうか。
    それは彼女の置かれた状況に
    関係があります。


    タマルは、ユダの一番最初の息子、
    つまり長男の妻でした。
    けれどタマルが結婚した後、
    その結婚相手である長男エルは
    死んでしまいます。
    古代イスラエルの社会は
    男性優位の社会でした。
    そのため、夫を亡くした女性が
    ひとりで生き抜くことは
    難しい社会でした。
    ですから、夫を亡くした女性たちが
    路頭に迷わぬように、
    死んだ夫の男きょうだいが
    その女性の新しい夫となる
    制度が存在しました。
    タマルにはこの制度が適用され、
    彼女は、ユダの
    2番目の息子である、
    次男のオナンと結婚します。
    しかし、その次男も
    死んでしまいます。
    この場合、本来ならば、
    彼女は三男のシェラと
    結婚することになります。
    けれども、義理の父であるユダは、
    彼女が三男と結婚することを
    ゆるしませんでした。
    というのも、ユダの目には、
    タマルと結婚することによって、
    次々と自分の息子たちが
    死んでいったように見えました。
    実際は自分の息子たちの方に
    問題があったようですが、
    ユダはタマルに
    何らかの問題があると
    考えたのかもしれません。
    ですから、もしも彼女が
    三男と結婚したら、
    三男の命まで失いかねない。
    そのようにユダは考えたために、
    タマルと三男が結婚することを
    ゆるしませんでした。


    このようなユダの決断は、
    タマルにとって、一体
    どのような意味があったのでしょうか。
    それは、ユダの家の保護の外に
    タマルが置かれることに等しいことでした。
    そう、家族の重要な取り決めをする
    家の長であるユダにとって、
    本来、タマルの命と彼女のこれからの生活を
    保護する義務がありました。
    けれどもユダは、
    自分の息子を守るために、
    その義務や責任を放棄し、
    タマルを拒絶しました。
    確かに、タマルには
    自分の父親がいたため、
    彼女は自分の父親の保護を受けながら、
    その後も生活をすることはできました。
    けれども、肩身の狭い思いをしながら、
    タマルは父親のもとに
    戻ったことでしょう。
    何よりも、父親の保護下にあることは、
    いつまでも続くものでは
    ありませんでした。
    父親が亡くなった時、
    自分を養ってくれる
    息子がタマルにはいないため、
    彼女は将来的に
    路頭に迷うことになってしまいます。
    ですから、ユダがこの時、
    タマルに対して行ったことは、
    彼女を自分の家族から
    追放するようなことでした。


    このような自分の置かれている
    辛い状況を何とか改善し、
    未来を切り拓いていくために、
    タマルは行動を起こしました。
    遊女のふりをしてユダの前に現れ、
    自分の身体をユダに
    差し出すことによって、
    彼女はユダとの間に子どもを得ました。
    そして、彼女はその際に
    ユダから報酬を得るための
    保証として渡された、
    紐のついた印章と杖を
    だまし取ることに成功しました。
    紐のついた印章は、古代世界において、
    法的な身分証明に使用されました。
    杖も、家族や民族のリーダーを
    示すものだった可能性があります。
    つまり、タマルがユダを騙して
    手に入れたこれらの道具は、
    現代風に言えば、
    免許証やマイナンバーカードのような、
    身分証明のための道具です。
    ユダの家族から
    追い出されたタマルは、
    お腹の中の子どもと、
    ユダを出し抜いて手に入れた
    身分証明をユダの前に
    突きつけました。
    そうすることによって、
    彼女は自分が確実にユダの子どもを
    身ごもっていることを
    ユダに証拠として突きつけました。
    そう、この物語において、
    彼女はまさにトリックスターです。
    ユダを騙し、出し抜き、
    ユダの子どもをお腹に宿すことによって、
    彼女はユダの家族の中に
    自分の居場所を確保しました。
    そうすることによって、
    彼女は自分の将来の安全を
    勝ち取りました。


    正直、タマルについてのこの物語は、
    現代に生きる私たちにとって、
    「倫理的にどうなの?」と、
    問いかけたくなる物語です。
    タマルは他人を騙し、出し抜いて、
    自分を傷つけて、
    自分の地位や居場所を獲得しています。
    そのような彼女の、
    トリックスターとしての生き様は、
    信仰者の模範と呼ぶには、
    正直、ためらいがあります。
    タマルの行動を手放しで喜び、
    称賛することもできないでしょう。
    けれども、古代世界の人たちに、
    トリックスターが登場する
    このような物語は歓迎され、
    喜んで受け止められました。
    トリックスターの行動が、
    現実世界の当たり前を
    揺り動かし、
    新しい状況をもたらすからです。
    知恵を最大限に用いて、
    相手を騙し、出し抜かなければ、
    自分たちにとって良い状況を
    切り開くことができない。
    いや、そもそも苦しい状況を
    知恵によって打開することさえも難しい。
    そのような状況に置かれている
    力のない人たちにとって、
    タマルに代表されるような、
    トリックスターの物語は
    現実へのささやかな抵抗と
    希望を与えるような物語でした。


    きょう、私たちは新約聖書から、
    マタイによる福音書を読みました。
    そこに記されているのは、
    アブラハムから始まり、
    イエス・キリストへと至る系図です。
    すべての人の救い主として
    私たちのもとに来てくださった、
    イエスさまの系図の中に、
    トリックスターである
    タマルの名前があります。
    一体なぜなのでしょうか。
    マタイは一緒に
    トリックスターである
    タマルの行動を喜び、
    タマルのように苦しい状況を
    乗り越えていこうと
    励まそうとしているのでしょうか。
    タマルと同じように
    倫理的な誤りを犯したとしても、
    私たちを取り囲む
    苦しい状況の改善のために行動し、
    この苦しい状況を
    乗り越えていこうと伝えることが、
    マタイの狙いだったのでしょうか。
    きっとそうではないでしょう。
    確かに、タマルに代表されるような、
    トリックスターの生き様は、
    まさに苦しい現実への抵抗です。
    だから、タマルの物語は、
    人々から歓迎され、
    喜ばれ、お祝いされました。
    でも、苦しい状況を
    乗り越えるためならば、
    何をしても良いのか
    というと違います。
    誰かを騙さなくても、
    他人を出し抜かなくても、
    苦しい状況を抜け出すことができる。
    自分が得することだけでなく、
    周りの人たちが笑顔になることも考えて、
    誠実に生きる道を
    誰もが選ぶことができる。
    それこそが、幸いなことではないでしょうか。


    でも、タマルにとって、
    それは許されませんでした。
    彼女の目の前に、
    誠実さを選び取るというような
    選択肢はありませんでした。
    騙し、出し抜き、
    自分を犠牲とすることでしか、
    彼女が生き抜いていく道は
    ありませんでした。
    本当は、誰も騙さず、
    出し抜くことなく、
    誠実に生きたい。
    でも、誠実さだけでは生きられない。
    それがタマルが歩んでいた道です。
    そう思うと、このタマルの物語はまるで、
    この世界の罪や人間の悪、
    社会の構造悪などに、
    屈しないように、
    何とかもがいて生きている。
    そんな私たちやこの世界を
    映し出しているかのようです。


    そして、だからこそ、
    タマルの名前が
    イエス・キリストの系図の中に
    記されたのではないでしょうか。
    タマルの名前は、
    彼女がトリックスターであったことを
    思い起こさせます。
    そして、トリックスターとして、
    誰かを騙し、出し抜かなければ、
    誠実さを捨てなければ、
    彼女が生きていけなかったことを
    彼女の名前は思い起こさせます。
    それは、多かれ少なかれ、
    私たちだって抱えている問題です。
    私たちだって本当は、できる限り、
    誠実に生きたいものです。
    本当はもっともっと、
    出会うすべての人を信頼できるならば、
    どれほど良いことでしょうか。
    でも、それが完全には許されません。
    気づかぬうちに
    騙されていることがあるから、
    注意深くなければいけません。
    本当は、そんなの嫌です。
    だから、もっともっと
    誠実に生きられるならば、
    もっともっと誠実に
    目の前の人たちと関わり合えるならば、
    どれほど素晴らしいことでしょうか。
    タマルの存在は、誠実さを求めるけれども、
    誠実さを失ってしまうことがある、
    私たちの日々の嘆きの象徴です。
    時には誠実さを捨てて、
    自分を偽って、もがくしかない。
    そんな私たちの日々の葛藤の象徴です。


    マタイが紹介する系図は、
    そんなタマルの名前の先に、
    イエス・キリストがいることを紹介します。
    それはまるで、イエスさまが、
    そんな私たちの思いや嘆きを
    すべて受け止めてくれることを
    描いているかのようです。
    そう、この社会の悪や、
    人間の罪に翻弄され、
    誠実に生きる道を選び取りきれない。
    むしろ不誠実な手段でしか抵抗できない。
    そんなタマルや私たち一人ひとりを
    イエスさまは受け止めてくださっています。
    それは、単に、今のありのままを
    受け止めるだけではありません。
    イエスさまこそ、神と人との前に
    誠実に歩む道を
    選び取り続けた方でした。
    そしてそのイエスさまの誠実さは、
    十字架の死に至るまで続きました。
    イエスさまの十字架上での
    死に至るまでの苦しみは、
    すべての人に罪の赦しを
    与えるためのものでした。
    それは、私たちから
    神や人に対して誠実に生きる道を奪う、
    あらゆる人間の罪を赦し、
    罪赦された私たちに、
    新しく生きる道を示すものでした。
    そう、人間のあらゆる罪に
    私たちが翻弄され、騙し、騙され、
    出し抜き、出し抜かれる。
    そんな誠実さを失い、
    罪にまみれた状況から
    私たちを救い出すために、
    イエスさまは来てくださいました。
    イエスさまご自身が
    神と私たちを心から愛し、
    関わりたいと願っています。
    そんなイエスさまの誠実さに支えられて、
    私たちには罪の赦しが
    贈り物として与えられています。
    そして、イエスさまを通して与えられた、
    その罪の赦しが、
    私たちを新しく生きる道へと
    押し出しています。
    ですから、イエス・キリストは
    私たちにとっての希望です。
    私たちが誠実さをもって
    この世界で生きる道を備え、
    いつもその道を
    指し示してくださっているからです。
    ですから、アドヴェントを迎えたきょう、
    私は心から願います。
    そんな希望の源であるイエスさまが、
    私たち一人ひとりの心に、
    そしてこの世界に訪れますように。
    主イエスの訪れを通して、
    私たちに誠実に関わり続けてくださる、
    神の愛が私たちの心を満たしますように。
    そして、神の愛に満たされた皆さんの前に、
    誠実さをもって神と人とに関わる道が
    いつも開かれていきますように。
    何よりも、平和の主であるイエスさまが
    いつもみなさんに伴って、
    あらゆる場所で誠実さをもって生きようとする
    みなさんを支え続けてくださいますように。

週報より

  • 2025.11.30 週報より抜粋・要約

  • ① きょうから教会暦は待降節(アドヴェント)に入ります。
    わたしたちの救い主であるイエスさまのご降誕を待ち望む季節です。
    アドヴェント・クランツのろうそくに、毎週1本ずつ火をともしていきます。

    ② きょうは礼拝後に月例役員会を付属館で行います。
    教会役員のみなさま、よろしくお願いいたします。

    ③ 外壁塗装のための献金へご協力お願いします。
    11月26日(水)に礼拝堂と付属館の外壁塗装工事は、
    怪我やトラブルなどもなく、予定通りに工事を終了できました。
    祈りに覚えてくださり、ありがとうございました。
    今回の外壁塗装のための献金にご協力いただける方は、
    受付正面の壁にかけてある献金袋や予約献金の申込用紙をご利用ください。
    外壁塗装の献金は目標金額(145万円)まで残りおよそ22万円です。

    ④ クリスマス音楽会のお知らせ
    有志の方による企画で、12月7日(日)の午後1時30分より、
    小山教会でクリスマス音楽会を予定しています。

    ⑤ クリスマス献金にご協力ください。
    牧師へのクリスマス手当、キリスト教関連団体への寄付などに用います。
    受付テーブルの献金袋をご利用ください。

    ・ミャンマー大地震の救援募金に
     ご協力ください(受付テーブルの上にある白い箱)。
     支援金はナザレン教会の国際援助機構を通じて
     ミャンマーへ送金されます。
    ・ナザレン教会を通じて
     ボランティア団体・各被災自治体などへ送金されます。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください(アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
     牧師にお知らせください。
    ・小山駅・教会間の送迎(9時45分東口出発)があります。
     詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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