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朗読箇所

降誕節第2主日

創世記 26:15–25

◆井戸をめぐる争い
15 ペリシテ人は、昔、イサクの父アブラハムが僕たちに掘らせた井戸をことごとくふさぎ、土で埋めた。
16 アビメレクはイサクに言った。「あなたは我々と比べてあまりに強くなった。どうか、ここから出て行っていただきたい。」
17 イサクはそこを去って、ゲラルの谷に天幕を張って住んだ。
18 そこにも、父アブラハムの時代に掘った井戸が幾つかあったが、アブラハムの死後、ペリシテ人がそれらをふさいでしまっていた。イサクはそれらの井戸を掘り直し、父が付けたとおりの名前を付けた。
19 イサクの僕たちが谷で井戸を掘り、水が豊かに湧き出る井戸を見つけると、
20 ゲラルの羊飼いは、「この水は我々のものだ」とイサクの羊飼いと争った。そこで、イサクはその井戸をエセク(争い)と名付けた。彼らがイサクと争ったからである。
21 イサクの僕たちがもう一つの井戸を掘り当てると、それについても争いが生じた。そこで、イサクはその井戸をシトナ(敵意)と名付けた。
22 イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言った。
23 イサクは更に、そこからベエル・シェバに上った。
24 その夜、主が現れて言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす
わが僕アブラハムのゆえに。」
25 イサクは、そこに祭壇を築き、主の御名を呼んで礼拝した。彼はそこに天幕を張り、イサクの僕たちは井戸を掘った。


マタイによる福音書 2:13–23

◆エジプトに避難する
13 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
14 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、
15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
◆ヘロデ、子供を皆殺しにする
16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
17 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
18 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、
慰めてもらおうともしない、
子供たちがもういないから。」
◆エジプトから帰国する
19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、
20 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。
22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、
23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

説教

ナザレのイエスと共にある旅

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    私たちが集うこの小山教会は、
    ナザレン教会という名前の
    世界教会に所属しています。
    私はナザレン教会で
    牧師をしているため、時々、
    「ナザレンってどういう意味なの?」と、
    尋ねられることがあります。
    ナザレンという言葉は、
    「ナザレの」または「ナザレ人の」
    という意味のNazarene
    という英単語から来ています。
    このナザレという小さな村で、
    イエスさまは育ちました。
    ですから、ナザレン教会という名称は、
    ナザレ出身のイエス・キリストの教会
    という意味になります。
    ナザレン教会の初期の指導者たちは、
    ナザレ出身のイエスさまが、
    どのような方であったのかを
    思い起こすために、
    教会にナザレンという言葉をつけました。
    それは、イエスさまが
    どのような方であったのかと
    関係がありました。
    イエスさまは、貧しさの中にある人たち、
    虐げを受けている人たち、
    社会の中で苦しみ、
    弱い立場に置かれている人たちに
    いつも寄り添い、
    手を差し伸べた方でした。
    このナザレのイエスのように、
    自分たちも、共に生きる人たちを愛したい。
    特に、この世界で悲しみ、苦しんでいる、
    弱い立場に立たされている人たちを
    ナザレ出身のイエスさまが
    愛したように、愛したい。
    ナザレのイエスのように、
    周りにいる人たちへの憐れみを
    心に抱いた生活をしたい。
    自分たちは、そんな教会であり続けたい。
    そんな信仰者であり続けたい。
    ナザレのイエスのような、
    ナザレ人でありたい。
    そんな願いがこのナザレン教会
    という名前には込められています。
    そんなナザレン教会の一員である私たちも、
    そのような教会であり続けたいと
    願い続けています。


    ところで、さきほど読んだ
    マタイによる福音書の物語の中に
    ナザレが登場します。
    マタイによれば、
    ナザレは、イエスさまが生まれて、
    家族と一緒に生活を始めた
    場所ではありませんでした。
    クリスマスの物語を
    思い起こしてみましょう。
    そう、イエスさまが産まれた場所は、
    ベツレヘムという名の町です。
    イエスさまがナザレではなく、
    ベツレヘムで産まれたのは、
    その時代に住民登録が
    行われたためでした。
    イエスさまの両親は、
    故郷のベツレヘムへ戻って、
    住民登録をする必要に迫られました。
    そのため、彼らは出産の時期を
    自分たちの生活拠点であったナザレで
    過ごすことができませんでした。
    ナザレにいることができない。
    それは、自分たちの力では抵抗できない、
    政治的な権力によって、
    彼らの生活が振り回された
    結果でもありました。


    また、イエスさまの家族は、
    イエスさまが生まれた後、
    しばらくしてからナザレに
    戻ったわけでもありませんでした。
    彼らはナザレに背を向けて、
    エジプトへ向かうことになります。
    というのも、
    ユダヤの王さまであるヘロデが、
    イエスさまを探し出して
    殺そうとしていたためです。
    このヘロデという王さまは、
    妻や息子たちを殺してでも、
    自分の地位を守るような王さまでした。
    ある時、東の方から
    占星術の博士たちがやって来て、
    ユダヤに新しい王さまが生まれた
    という知らせをヘロデは聞きました。
    その知らせを聞いた時、
    ヘロデは近い将来に、
    自分の今の地位が
    失われる可能性が
    あることに恐れました。
    ですから、ヘロデは、
    新しい王として生まれてきた
    赤ちゃんを殺そうとします。
    ヘロデは、ベツレヘムで生まれた
    2歳以下の子どもたちを
    殺す計画を実行しました。
    このようなヘロデの残酷な計画を
    イエスさまの父親のヨセフは
    夢を通して知ったため、
    ベツレヘムからすぐさま
    逃げることになりました。
    そのような事情があって、
    イエスさまが生まれてから程なくして、
    イエスさまの家族は
    エジプトへと向かったのでした。
    それは、イエスさまの両親にとって、
    馴染みのない地で
    出産直後の時期を
    過ごさなければいけなかった
    ということを意味します。
    現代の言葉で表現するならば、
    イエスさまの家族は、
    難民としてエジプトに身を寄せました。
    その当時、エジプトには
    ユダヤ人たちのコミュニティが
    あったことは知られています。
    ですので、彼らにとってエジプトは
    見知らぬ地であったとしても、
    頼れる同胞たちがいるにはいたでしょう。
    けれども、だからといって、
    このような境遇に
    手放しで喜ぶことなどできません。
    イエスさまもその両親のマリアとヨセフも、
    自分たちでは抵抗できない様々な力に
    晒されたその結果として、
    エジプトにたどり着いたのですから。
    彼らは安住の地を持たずに
    生活をしていたといえます。
    自分の故郷に戻る時期が
    いつになるかもわからず、
    彼らはただただ不安定な生活を
    続けたのだろうと想像します。
    このように、目的地さえも定まらず、
    先の見えない旅を
    イエスさまはその誕生の時から
    強いられていました。


    ある程度時間が経ってから、
    イエスさまの家族は
    エジプトを出発して、
    ナザレの村へやって来ました。
    そして、ようやくナザレを
    生活の拠点として
    定めることができました。
    このナザレという小さな村は、
    伝統的には、イエスさまの両親が
    暮らしていた場所として知られています。
    ルカによる福音書に
    そのような記述があるからです。
    けれども、興味深いことに、
    マタイはイエスさまの両親が
    暮らしていた場所については、
    何の情報も提供しないで、
    沈黙しています。
    イエスさまが本来帰るべき場所が
    どこであるのかを
    マタイは明らかにはしていません。
    そうすることによって、
    ナザレにたどり着いたことを
    単なる故郷に帰ってきた出来事とは、
    違った響きを持って
    マタイは紹介しています。
    マタイにとってナザレは、
    故郷と言うよりも、
    ヘロデから逃げ続けて、
    ようやく身を寄せることができた
    安全な場所です。
    もちろん、不安定な旅は
    まだ続く可能性だってあります。
    だって、またいつヘロデのような支配者に
    イエスさまの命を狙われるか
    わからないからです。
    けれども、ようやく一度、
    腰を据えることができました。
    イエスさまの両親が住民登録のために、
    ベツレヘムへと向かうために、
    故郷を後にしてから
    一体どれだけの月日が
    流れていたのでしょうか。
    ようやくここを
    自分たちの居場所にできる。
    イエスさまの家族にとって、
    そんな場所が
    ナザレという小さな村でした。


    そのように考えると、
    このナザレ人という言葉は、
    単なる、小さな村に住む人を
    指す名前とは、また違った響きを
    持っていることに気付かされます。
    イエスさまとその家族が
    ナザレにたどり着くまでの
    日々を思うならば、
    ナザレは、イエスさま自身が経験した
    不安定さを思い起こす
    言葉となるからです。
    ナザレ。
    そこは、エジプトでの生活を始めた
    イエスさまの家族にとって、
    戻りたいけど、戻れない場所でした。
    ナザレにいない今、
    イエスさまの家族にとって、
    ナザレは自分たちが
    故郷から離れて、難民となって
    生活をしていることを意味しました。
    周囲の様々な力に振り回されて、
    先の見えない旅をしていることを
    ナザレに戻れないことを思う度に、
    何度も思い起こしてしまう。
    そして、時が流れて、
    ナザレにたどり着いた時、
    ナザレは彼らにとって、
    ようやく手にした
    安全な場所といえました。
    けれども、そんな安全な場所を
    手にしたと思えても、
    またすぐに旅立つ必要があるかもしれない。
    ナザレが永遠の住まいになるなんて
    保証はどこにもありません。
    そう思うと、故郷のナザレだって、
    一時的な住まいとも思えてきます。
    このように、マタイの物語において、
    ナザレのイエスさまの家族は
    安心した居場所を持たない、
    旅人のような家族です。


    ただ、それは何も、
    イエスさまやイエスさまの家族だけの
    経験というわけではありません。
    誰もが、この地上においては、
    彼らのような旅人であるはずです。
    だって、私たちの故郷は
    天の御国にあるからです。
    今はまだたどり着かないけど、
    やがて必ずたどり着く天の御国に、
    私たちは思いを寄せながら、
    この地上での旅を続けています。
    確かに、この地上において、
    私たちは誰もが故郷を持っています。
    住む家を持ちます。
    暮らしている場所があります。
    けれども、そこは私たちにとって、
    永遠の住まいではありません。
    毎日、あまり変わらないように
    過ごしているように見えて、
    変化の連続の中にあります。
    だから、新しいものを手に入れるし、
    長年大切にしてきたものを
    色々な形で私たちは手放し、失います。
    私たちのこの地上での故郷は、
    永遠の住まいではないからこそ、
    私たちはこの地上においては、
    常に旅人です。
    イエスさまはその生涯の初めから、
    まさに旅人でした。
    故郷ナザレにはなかなかたどり着けず、
    見知らぬ地に身を寄せて生活をしました。
    不安定で、行き先の見えない日々を
    イエスさまは家族と一緒に過ごしました。
    でも、時には周囲の
    仲間たちから支えられて、
    神の導きを受けながら、
    イエスさまとその家族は、
    旅を続けました。
    イエスさまがそのような
    境遇に置かれていたのは、
    イエスさまがまさに、すべての人と
    共にあろうとしたからです。
    私たちと共にいることを選んだから、
    イエスさまはこの世界において、
    不安定な歩みを強いられました。
    様々な力に晒され、翻弄され、
    命の危険を犯すことになりました。
    居場所をもたない人と
    共にあるために。
    自分の力では抵抗できない、
    様々な力に晒され、
    振り回されている人と共にあるために。
    先行きの不安な道を歩いている、
    すべての人と共にあるために。
    私たちが天の御国へと向かう、
    この旅の途中で経験する、
    あらゆる困難を私たちと共にするために、
    イエスさまは私たちのもとに
    来てくださいました。


    新しい一年が始まりました。
    この一年も、私たちの地上での旅は、
    良いことも悪いこともあるのでしょう。
    社会の不条理を感じることもあれば、
    人の優しさに触れることもあるでしょう。
    イエスさまの家族がエジプトへ
    行かなければいけなかったように、
    決して自分では望んではいない歩みを
    強いられることだって時にはあるでしょう。
    先の見えない日々を
    過ごさなければいけない
    ことだってあるでしょう。
    そんな私たちにとって、
    確かな希望がふたつあります。
    ひとつめは、もちろん、
    私たちの旅は天の御国へと
    必ずたどり着く旅であるということです。
    そして、ふたつめは、その旅にはいつも
    同伴者、旅を一緒に歩む人がいる
    ということです。
    それは、イエスさまと
    教会に集う仲間たちです。
    だって、イエスさまは
    天の御国を目指して歩む私たちと
    どんな時も一緒にいるために
    来てくださったのですから。
    そして、私たちは
    イエスさまが私を愛し、慈しみ、
    いつも憐れんでくださっているように、
    共に生きる人たちを愛し、
    慈しみと憐れみの心をもって
    手を取り合いたいと
    願っているのですから。
    どうかこの一年も、
    天の御国を目指して、
    この地上の旅路を行くみなさんの歩みが、
    神の守りと祝福のうちにありますように。

週報より

  • 2026.01.04 週報より抜粋・要約

  • ① 新年おめでとうございます。
    今年1年のみなさまの歩みの上に、主キリストの守りと祝福を祈ります。
    6日(火)は、東方の三人の博士たちがベツレヘムにやって来て、
    幼子を礼拝したことを記念する公現祭です。
    明後日で主イエスのご降誕を記念する期間が終わりますので、
    来週の日曜日は、礼拝後にクリスマスの飾りつけの後片付けをします。
    ご協力いただける方はよろしくお願いいたします。

    ② きょうの礼拝後に讃美歌を歌う会を行います。

    ③ きょうは礼拝後に月例役員会を短縮でおこないます。
    主な議題は、火災保険の契約更新についてです。
    役員会への提案やご意見などがありましたら、お知らせください。

    ④ 次の日曜日は礼拝後にもちつきを予定しています。
    みなさまどうぞご予定ください。参加は無料です。
    この日は、やくしんミートセンターの駐車場をご利用いただけます。

    ⑤ 外壁塗装のための献金へご協力お願いします。
    外壁塗装のための献金にご協力いただける方は、
    受付正面の壁にかけてある献金袋や予約献金の申込用紙をご利用ください。
    外壁塗装の献金は目標金額(145万円)まで残りおよそ15万円です。

    ⑥ 1月から3月までの礼拝当番表を作成しました。
    掲示されている表をご確認お願いします。
    ご都合の悪い日がありましたら、牧師までお知らせください。

    ・ミャンマー大地震の救援募金に
     ご協力ください(受付テーブルの上にある白い箱)。
     支援金はナザレン教会の国際援助機構を通じて
     ミャンマーへ送金されます。
    ・ナザレン教会を通じて
     ボランティア団体・各被災自治体などへ送金されます。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください(アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
     牧師にお知らせください。
    ・小山駅・教会間の送迎(9時45分東口出発)があります。
     詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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