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朗読箇所

三位一体後第17主日

イザヤ書 45:1–8


1 主が油を注がれた人キュロスについて
主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り
国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれ
どの城門も閉ざされることはない。
2 わたしはあなたの前を行き、山々を平らにし
青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折り
3 暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える。あなたは知るようになる
わたしは主、あなたの名を呼ぶ者
イスラエルの神である、と。
4 わたしの僕ヤコブのために
わたしの選んだイスラエルのために
わたしはあなたの名を呼び、称号を与えたが
あなたは知らなかった。
5 わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。わたしはあなたに力を与えたが
あなたは知らなかった。
6 日の昇るところから日の沈むところまで
人々は知るようになる
わたしのほかは、むなしいものだ、と。わたしが主、ほかにはいない。
7 光を造り、闇を創造し
平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである。
8 天よ、露を滴らせよ。雲よ、正義を注げ。地が開いて、救いが実を結ぶように。恵みの御業が共に芽生えるように。わたしは主、それを創造する。


ヨハネによる福音書 10:1–6

◆「羊の囲い」のたとえ
1 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。
2 門から入る者が羊飼いである。
3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
4 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。
5 しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」
6 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。

説教

神は、その名を呼び続ける

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    イエスさまは、
    羊と羊飼いの関係を伝える
    たとえ話を人々に語り始めました。
    現代に生きる私たちは、
    簡単に聖書を手にすることができるため、
    イエスさまがこのたとえ話を
    この後、どのように説明したのかを
    簡単に知ることができます。
    イエスさまが提供した説明は、
    この話に登場する門も、羊飼いも、
    イエスさまのことを指す、
    というものでした。
    でも、それならば、
    旧約聖書の物語を用いて、
    そこから自分が羊飼いや門だと、
    伝えても良かったはずです。
    何よりもこの話を
    イエスさまがしたとき、
    それを聞いていた
    ファリサイ派の人々は、
    「その話が何のことか
    分からなかった」と
    ヨハネは記録しています(6節)。
    ということは、このたとえ話は
    イエスさまによってすぐに
    解説されませんでした。
    このたとえ話そのものを聞いて、
    一体どういう意味なのかなと考え、
    お互いに語り合うことに
    大きな意味があるから、
    イエスさまは一度話を止めて、
    人々の反応を見たのでしょう。
    その意味では、私たちも同じように、
    イエスさまから問いかけられている気がします。
    「さぁ、君はどんな風に、
    この物語を聞いたかな?」と。


    この物語は、羊たちが
    羊飼いの声を
    聞き分けることができることを
    強調しているように見えます。
    羊たちが名前を呼ばれた時、
    羊飼いの声ならば、
    羊たちはその後をついていきます。
    でも、もしも自分たちを呼ぶ声が
    知らない人のものであるならば、
    羊たちは逃げ出します。
    自分たちにとって、本当に大切な声に
    耳を澄ますことができ、
    きちんとその声を聞き分けることができる
    羊たちの姿がここでは描かれています。


    このようなことを描く
    たとえ話として、
    イエスさまのこの話に
    耳を傾けるならば、
    私たちは日々、一体どんな声に
    耳を傾けているのかと
    考えさせられます。
    朝起きてから、夜眠るまで、
    たくさんの声、いや、様々な音が
    私たちの耳には届きます。
    アラームの音、スマホの通知音、
    家族や友人、近所の人や同僚たちの声、
    テレビやYouTubeの音声、
    電車やバスのアナウンス。
    SNSを開けば、
    さまざまな人たちのつぶやく声が
    文字情報として流れてきます。
    短い動画が何度も目に留まり、
    次から次へと新しい情報が
    押し寄せてきます。
    息つく暇もありません。
    そのような中で、
    どれだけきちんと注意して、
    そういったひとつひとつの声に
    耳を傾けることができているのかも
    わかりません。
    そんな風に、常に様々な情報が
    私たちに注意を向けるようにと
    呼びかけてきます。
    きょうも、これまでに
    一体何度、スマホの通知音が
    鳴ったことでしょうか。


    このような、注意を引く文化の中で
    今、私たちは生きています。
    色々なものに注意を向けるようにと
    四方八方から、常に呼びかけられます。
    私のこの目を、この耳を、心を、意識を
    1秒でも長く向けるようにと呼びかけ、
    注意を引き続けるものがたくさんあります。
    そんな社会の中で、
    私たちは一体どれほど、
    大切な声や言葉に
    耳を傾けることが
    できているのだろうかと、
    考えさせられます。
    様々なものに注意を
    向けるようにと促されているため、
    聞いているようで、
    うまく聞けていない可能性も
    あるかもしれないと、思わされます。
    イエスさまのたとえ話に登場した
    あの羊たちは、羊飼いの声を聞き分け、
    羊飼いの後について行きました。
    自分たちにとって危険な、
    侵入者の声には耳を貸さず、
    逃げ出します。
    そう、羊たちは大切な声に
    耳を澄ますことができます。
    大切なものにこそ、
    注意を向けることができます。
    一方、現代社会で生きる私たちは、私も含めて、
    たくさんのものに注意を払うようにと、
    毎日のように身体や心に
    叩き込まれています。
    そんな私たちは、
    あの羊たちと同じように、
    今、自分たちが耳を傾けるべき、
    意識を向けて、心を開くべき、
    大切な声や言葉を聞き分けることが
    できているのでしょうか。
    大切だけど、微かに響く声に、
    注意を払えているのでしょうか。
    ゆっくりと耳を澄まし、
    大切な声や言葉を
    ゆっくりと味わうことが
    できているのでしょうか。
    私たちに語りかける神の声や、
    友人や家族、出会う一人ひとりの言葉に、
    きちんと耳を傾けることが
    できているのでしょうか。


    イエスさまのたとえ話に耳を傾けた
    ユダヤ人たちにとって、
    羊と羊飼いの関係は、
    旧約聖書で描かれるような、
    古代イスラエルと神との関係を
    思い起こさせたことでしょう。
    どのようなときも、神は
    ご自分の羊である
    イスラエルの民を守り、
    そして、その歩みを導き続けました。
    羊飼いのように、神はいつも
    イスラエルの民に心を配っていました。
    けれども、イスラエルの側は、
    度々、神に心を向けることをやめ、
    他のものに心を奪われていました。
    それにもかかわらず、
    神はイスラエルの民を決して見捨てず、
    彼らにいつも憐れみを注ぎ、
    救いの手を伸ばし続けようとしたことを
    聖書は証言しています。
    そして、イエスさまを私たちのもとに
    送ってくださることを通して、
    イスラエルの民に対してだけでなく、
    人類すべてに対して、神はその救いの手を
    伸ばし続けてくださっていることを
    明らかにしてくださいました。
    その意味で、神がいつも
    私たちに注意を
    向け続けてくださっていることこそ、
    私たちにとっての希望です。
    私たちはいつも様々な声に晒され、
    あちこちと様々なものに
    注意を奪われてしまっています。
    けれども、神は諦めずに、
    そんな私たちを見つめ、
    私たちの名前を呼び続けておられます。


    そんな神の呼びかけは、
    全体に一斉にアナウンスされるものではなく、
    私たち一人ひとりに向かって
    行われているものです。
    そのことを示すかのように、
    イエスさまが語ったたとえ話の中で、
    羊たちは名前を呼ばれています。
    一匹一匹の羊たちの特徴を知って、
    羊飼いは愛情をもって、親しみを込めて、
    羊たちの名前を呼びました。
    同じように、神は私たち一人ひとりの
    あらゆる特徴をよく知って、
    愛情をもって、親しみを込めて、
    私たちの名前を呼んでくださっています。
    そう、私たちが神に注意を向けるよりも前に、
    神の方が私たちにその目を注ぎ、
    私たちに愛情をもって、
    注意を払ってくださっているのです。


    そのような私たちに対する、
    神の注目が私たちにとって
    最も明らかになる瞬間のひとつが、
    毎週繰り返されている
    礼拝の時ではないでしょうか。
    神は、私たちを礼拝へと
    招いてくださっています。
    神の側が私たちの名前を呼んで、
    いつも礼拝へと招いてくださっています。
    そして、礼拝において、神は、
    私たちに語りかけてくださいます。
    そう、神の側がまず初めに、
    私たちに注意を
    向けてくださっているのです。
    私たちに注目してくださっている、
    そんな神の語りかけを通して、
    私たちは神に注意を向けます。
    色々なものに注意を払うようにと
    要求される日常を続ける私たちに、
    神に心を向けるようにと
    招かれる瞬間です。
    私たちが神に注意を向ける時、
    神は私たちに聖書の言葉を通して、
    祈りを通して、讃美歌の歌声を通して、
    割かれるパンや配られる杯を通して、
    時々起こるトラブルや、
    誰かの何気ない一言を通して、
    まさに礼拝全体を通して、
    語りかけてくださっています。
    その時、私たちは神以外のものにも
    注意を向けるようにと促されます。
    共に生きる人たちや、この世界に対して。
    そして、自分自身に対してです。
    この時代において、
    様々なものに注意を奪われているがために、
    神や共に生きる人たちの言葉を、
    いや、自分自身が心に抱く言葉さえも、
    うまく受け止めきれず、
    耳を傾けきれない私たちがいます。
    そんな現代文化の中で
    傷ついてしまっている私たちを
    神は礼拝を通して、
    その傷ついた部分を
    少しずつ回復しようと
    してくださっているかのようです。
    何度も切り替わる注意ではなく、
    愛と憐れみをその中心に据えて、
    注意を向け続けることを
    神は私たちに促しています。
    そう、普段様々な形で注意を奪われて、
    きちんと見つめることができなかった、
    周囲のものを愛と憐れみの心をもって、
    注意を払って、じっくりと見つめるようにと、
    神は私たちの名前を呼びながら、
    私たちにいつも促しておられます。
    神の言葉を。
    共に生きる人たちの声を。
    この世界が発する声を。
    そして、自分自身が心に抱く声を。
    きちんと耳を澄まして、
    そういったものを
    受け止めることができるように、
    神は私たちの名前を呼んで、
    きょうも注意を促しておられるのです。
    たくさんのものが
    私たちの注意を引き付ける
    この世界の中で、
    神が私たちに注意を向けさせ、
    私たちに大切なこと、必要なことを
    いつも示し続けてくださっているのです。
    だから、神の呼びかける声に、
    耳を傾ける注意深さを
    私たちはこれからも
    持ち続けたいと思うのです。
    どうか、神の招く声に
    耳を澄ますことができますように。

週報より

  • 2025.10.05 週報より抜粋・要約

  • ① 次の日曜日は礼拝後に、小山祈りの家でピクニックを予定しています。
    賛美やゲーム、バーベキューなどをする予定です。
    だいたいの人数把握のため、現時点で参加予定の方は、
    受付テーブルに置いてある用紙にお名前をご記入ください。
    もちろん、当日の飛び入り参加も大歓迎です。どなたでもご参加ください。
    参加費は無料です(自由献金あり)。

    ② 『モレノ』特別号へのご協力のお願い
    4月1日に小山教会は、宇都宮伝道所正式発足から数えて50年を迎えました。
    先週は礼拝の後に、50周年のお祝いの時を持ちました。
    小山教会50周年の記念として、『モレノ』特別号を年内に発行予定です。
    特別号編集チームは、小山教会での思い出や、これからの教会への思いを
    綴った原稿を募集しています(400〜800文字程度、締切は10月末)。
    たくさんの方のご寄稿をお待ちしています。

    ③ 外壁塗装のための献金へのご協力のお願い
    私たちの教会はおよそ10年ごとに礼拝堂の外壁塗装を行っています。
    9月30日時点で、目標金額(145万円)まで残りおよそ59万円です。
    ご協力いただける方は、受付正面の壁にかけてある献金袋をご使用ください。

    ④ きょうは礼拝後に月例教会役員会を行います。
    教会役員のみなさまはよろしくお願いいたします。
    主な議題は、10月から12月までのイベントについてです。

    ・ミャンマー大地震の救援募金に
     ご協力ください(受付テーブルの上にある白い箱)。
     支援金はナザレン教会の国際援助機構を通じて
     ミャンマーへ送金されます。
    ・ナザレン教会を通じて
     ボランティア団体・各被災自治体などへ送金されます。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください(アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
     牧師にお知らせください。
    ・小山駅・教会間の送迎(9時45分東口出発)があります。
     詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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